阿武山での大蛇退治とキツネ岩の古狐の伝説とは? わかりやすく解説

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阿武山での大蛇退治とキツネ岩の古狐の伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/03 13:25 UTC 版)

香川勝雄」の記事における「阿武山での大蛇退治とキツネ岩の古狐の伝説」の解説

享禄5年(1532年)、勝雄が18歳の頃、香川氏所領である八木荘(現・安佐南区八木)に怪物のような大蛇(龍ともいわれている)が阿武山中腹から出没し八木荘を荒らし回っていた。勝雄は主君香川光景大蛇退治志願し同年2月27日陽暦3月25日)に一人阿武山登り中迫という地点巨大な大蛇義元太刀退治して一躍勇名馳せた。しかし大蛇退治される寸前に勝雄に呪い掛け盲目にしてしまった。困り果てた勝雄は、近くにある湧き出た泉で目を洗うと、その目が見えようになったその後、その泉は眼病に効く霊験あらたかとして知られる(御奇良功=ごきろくすい)。勝雄がきった大蛇の首が初めに落ちたところを刀延(たちのぶ)、二度目飛び入ったところを大蛇の首から流れる血が箒のように噴きつつ飛んだので箒溝(ほうきみぞ)、最後に飛び入ったところは大蛇の血で池となり、その池の中に深く隠れ入ったというので蛇王池と称えるようになった。この蛇王池は、可部線梅林駅(現在と場所が一致しているかは未確認)より約百メートル北あたりにあり、このあたりを落地称していたが、後に語路によって上楽地と書き改められた。蛇王池田植え歌というのがある。退治の際に使った義元太刀は、安芸香川氏祈祷であった光廣神社奉納されていたが、現在は失われている。 広島市立八木小学校一角に、高さ2.8m、周囲6.8m、重量10tキツネ岩と呼ばれる岩が存在している。本来は八木小学校から約250m南側にある皆川近く水田に、上部約60cmを出して埋没していた。当時太田川は現在よりも阿武山側に流れており、このキツネ岩はその川面浮かんでおり、船を沈め難所となっていた。後に川の流れ位置変わりキツネ周辺田んぼとなる。戦国時代、この大岩の上美しい女が立ち、笑って人をバカにして踊るという不可思議な現象起きた。これを訝しんだ香川勝雄は、女が現れるのを待ち、ついにその女退治した退治された女は人間ではなく、実は大きな年老いたキツネであった。現在も「キツネ岩物語」という話として伝えられている。

※この「阿武山での大蛇退治とキツネ岩の古狐の伝説」の解説は、「香川勝雄」の解説の一部です。
「阿武山での大蛇退治とキツネ岩の古狐の伝説」を含む「香川勝雄」の記事については、「香川勝雄」の概要を参照ください。

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