学術的な活動
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大学院修了後、京都大学医学部にて副手となる。1974年には、東京大学医学部の助手を務めた。その間、カーネギー研究所にて発生学部門の客員研究員を兼任したり、アメリカ国立衛生研究所傘下の国立小児保健発達研究所にて分子遺伝学研究室の客員研究員を兼任したりするなど、アメリカ合衆国の研究機関の客員としても活動した。 1979年、大阪大学の医学部にて教授に就任した。また、1982年より京都大学医学部の教授も併任し、1984年から京都大学医学部教授が本務となる。京都大学では遺伝子実験施設の施設長なども務めた。また、1989年から1998年にかけて、弘前大学の医学部の教授も併任していた。1995年より、京都大学大学院の医学研究科教授が本務となり、研究科長や学部長などを歴任した。2005年より、京都大学大学院の医学研究科にて特任教授に就任し、2006年には同研究科の客員教授となった。2017年5月1日からは、京都大学の高等研究院にて特別教授を務めることになった。2020年4月からは、京都大学がん免疫総合研究センターのセンター長に就任。
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学術的な活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 05:08 UTC 版)
1975年帰国後、京都大学第三内科において、循環器内科における研修指導に従事すると共に、京都大学核医学講座鳥塚莞爾教授の勧めで、同教室の石井靖助教授、米倉義晴、後に玉木長良 等とわが国の心臓核医学分野において指導的活動を続けた。1985年より1999年までWHOのExpert Advisory Panel on Cardiovascular Diseases の委員も務め、1986年に当時の日本では数少ないFellow of American College of Cardiologyの資格を得た。また、1987年よりJournal of Interventional Cardiologyの国際編集委員を17年間務めると共に、日本循環器学会や日本心不全学会の特別会員、日本心臓病学会の功労会員、日本冠疾患学会、日本心臓リハビリテーション学会、日本心臓核医学会、Fellow of The Society for Cardiovascular Angiography and Interventions(SCAI)等の名誉会員を務め、日本臨床運動療法学会理事長を務める。
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