学校制度と就学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 10:08 UTC 版)
学校制度がない時代は、一生就学しないままの例が大多数だった。貴族や富裕層など一部の人しか学校に通えなかった。日本の寺子屋や欧米の日曜学校など類似機関はあったが、現代の学校のような施設ではなかった。 日本では明治初期に学制が施行され、全く学校に通わないこどもは徐々に少数派となった。就学率は少しずつ上昇したが、貧困で就学できなかったり、途中で学校に通わなくなる子もいた。終戦直後も、戦後の混乱から就学が難しく、学籍があっても登校できない場合が多かった。これに前後して、A.M.ジョンソンが1941年に論文にて「学校恐怖症」という言い方をした。 高度経済成長期以降は就学率が100%近くなった。以後、日本では6歳ごろ(幼稚園まで含めると3歳ごろから)に就学して15歳から25歳ごろに学校生活を終える例が多い。多くの人は、就職するまで長い期間登校し、就職と共に非就学になる(大学進学経験者の場合、高校卒業から大学入学までに1年以上の非在学期間(浪人時代)があることも珍しくない)。しかし1990年代に入ると、就学率は高いままで欠席率が高くなった。 この現象は日本では1950年代から報告され、「学校嫌い」や、1960年頃からは「登校拒否」とも呼ばれ、その後「不登校」と呼ばれるようになった。また非就学者が学校教育を受けられない問題も並行した。 障害を持つ人の就学については、時代とともに改善されつつあり、現代では重度の障害があっても就学できるようになっている。1979年の養護学校の就学義務化を境に、就学猶予・免除される障害児は激減し、就学率は大幅に向上した。また、一般学校での特別支援教育の力も高まっており、以前なら養護学校(現在の特別支援学校の一部に相当)に通っていたレベルの障害でも、小学校・中学校に通うケースが多くなっている。院内学級の制度により、入院中でも教育を受けられたり、病院内に設置された学校で教育を受けられるようにもなってきている。発達障害がある生徒の場合、通常より長い教育期間のニーズがあるが、高等学校や特別支援学校の高等部などの後期中等教育の課程への進学率も高い。 欧米では19世紀ごろに義務教育制度が作られ、就学率が上昇していった。しかし日本と違って、家庭教育(ホームスクーリング)のみで育つ例もあった(トーマス・エジソンなど)。そのため、就学義務ではなく教育義務を履行する選択肢が市民権をある程度得ていた。日本ほどではないが、現在は欧米でも大多数の人が学齢期に学校に通っている。 世界的に生涯学習の時代に入り、就職と非就学が同一ではなくなり、また成年到達と非就学も同一ではなくなった。このため、就職中や高年齢でも学校在籍の選択肢が選びやすくなっている。
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