学校剣道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:44 UTC 版)
学校教育に剣道を採用する議論はすでに明治16年(1883年)から行われていたが、指導が難しく有害であるとして見送られていた。剣道家の衆議院議員星野仙蔵、小沢愛次郎らの請願運動により、明治40年(1907年)に衆議院で可決され、明治44年(1911年)に剣道が中等学校正科の体操の一部として実施されるようになった。 剣道教員の養成機関となったのが、武道専門学校(武専)と東京高等師範学校(高師)である。武専教授内藤高治と高師教授高野佐三郎は当時の剣道界に大きな影響力を持ち、「西の内藤、東の高野」といわれた。従来の個人教授法では多人数の生徒を教えることはできないため、高野佐三郎は集団に一斉に教えるための団体教授法(号令に合わせて集団で動く練習方法)を考案した。また、大日本武徳会は全国から25名の剣道家を選抜し、中等学校剣道教育のための大日本帝国剣道形(現在の日本剣道形)を制定した。
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