学問所の設置から養賢堂の命名までとは? わかりやすく解説

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学問所の設置から養賢堂の命名まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 01:08 UTC 版)

養賢堂 (仙台藩)」の記事における「学問所の設置から養賢堂の命名まで」の解説

近世の武士は軍事だけでなく政治担い手でもあった。当初武士の教育それぞれの家で行われていたが、太平の世が確立する文治統治基本となり、また次第に複雑化する社会対応するために行政処理能力に富む人材求められるようになって17世紀以降武士の教育機関日本各地設立されるようになった仙台藩藩校設立動き起こったのは18世紀前半である。この頃仙台藩では、豪奢な寺社建立自然災害影響財政逼迫し、生活に困窮した武士領民から人心失われていた。こうした状況の中で、1721年享保6年)に遠藤文七朗守信が5代藩主伊達吉村に対して藩校設立意見書提出した遠藤主張は、充分な教育受けていない武士自分勝手に勤めているために、政治不調民衆からの支持得られていないというものだった。しかし、この意見受け入れられないばかりか遠藤蟄居処分となった遠藤1728年享保13年)に、学問政教第一根本であるとして、再び意見書提出したが、これも却下された。1735年享保20年)には仙台藩儒学者蘆野東山芦東山・幸七郎胤保)がかなり具体的な学問所設立案を作成して建言したが、これもいれられなかった。しかし、この上申から約半月後に儒学者高橋玉斎藩校設立建言すると、これが採用されることになった東山玉斎供に学問所必要性認識していたが、両者の間には学問所あり方について意見の相違があり、このため同時期にそれぞれ個別意見具申したのだろうとされる玉斎学問所案は、武家屋敷1軒を学問所として、そこに70人から80人の聴衆をいれるという、比較規模小さなのだったまた、玉斎礼法弓術重視していた。こうして、1736年元文元年)、城下の北三番丁細横丁西南角にあった武家旧宅修復されて、ここに藩校である学問所置かれた。東山玉斎はともに講釈および読書指南役の一人となり、さらに玉斎学問所主立となった東山は後に、身分の上下にこだわらない学問所改革案を提示したことから藩の重臣から反感を買うことになり、20年以上にわたって幽閉されることになる。 この学問所では、『孝経』、『小学』、四書五経などを教材とした素読が朝から行われ、その後講釈が行われた。しかし、指南役同士対立から欠講がしばしば発生し、また学問所通学不便な位置にあったために、出席者減少していった。さらに、敷地狭かったために玉斎重視した礼法弓術教授もできていなかった。こうした中で、7代藩主伊達重村学問所改革乗り出した1760年宝暦10年)に、学問所学舎北一番丁勾当台通東南角に移され、さらに足軽まで藩校への入学許されるようになった平民入学許されなかったが、平民には義塾寺子屋での学習奨励された。また、学問所医学書講釈が行われるようになり、藩医のみならず町医師もこれを聴いた1771年明和8年)、重村は「養賢堂」と自ら額に書き、これを学問所与えた。これは学問所賢人養成期待して行ったものとされる。この翌年1772年明和9年)から、この学問所養賢堂称されるようになった

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