女性論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 05:48 UTC 版)
1980年代には切り裂きジャック事件の受容がフェミニズムの観点から論じられ始め、ジャックの犯罪が神秘的で不可解な悪などではなく、社会に内在する家父長思想の帰結だという指摘がなされた。作者ムーアも、「切り裂きジャック」が大きな社会的関心を集める理由の一つに、ヴィクトリア朝から現代まで社会構造に深く浸透しているミソジニーとの関わりがあることを意識していた。作中では、権力機構がガルの凶行を支援し、同時代の男性の多くが「ジャック」に自己投影することで、事件の女性憎悪的な性格が強調されている。しかし、グラスゴー大学のクリスティーン・ファーガソンは本書の殺人描写が扇情的だと主張し、女性憎悪犯罪が超常的な歴史の必然として扱われていることを問題視した。ファーガソンによると本書は反権力・カウンターカルチャーの姿勢を盾にしたミソジニーの発露だった。一方でアルバータ美術大学(英語版)のアレックス・リンクによると、作者ムーアは「切り裂きジャック」が文化的産物であることを十分に認識しており、殺人行為の基盤にある階級格差を作中ではっきりと描写している。アグデル大学(英語版)のマイケル・プリンスは、本作が家父長思想に支えられた組織的な性暴力の構造を暗に描いていると主張した。物語の終盤に登場してガルの霊体をたじろがせる女性は、家母長的な文化の存続を示唆するとされた。ムーアのスクリプトでは、その女性が告発の視線を投げかけるのはガルだけではなく、画面の向こうの「私たち」でもある。 本作における売春婦の描写は、「毒々しく官能的な美女」や、逆に「歯抜けの醜い老婆」のようなステレオタイプではなく、その年齢の女性が職業的な要請に従ってできるだけ美しく装った姿として意図されている。ムーアは従前の「切り裂きジャック」物語では犠牲者が個性を備えた人間として扱われてこなかったと発言している。ムーアは猟奇的な殺人行為を描くにあたっても、既存作品のように「ほとんどポルノと同じ」ショッキングで扇情的な描写は避けようとした。現実に起こったことを虚心に、苦痛を伴うほど正確に細部まで再現することが犠牲者への敬意だと考えていたのだった。これらの描写からは「怒りと共感」が読み取られている。大衆文学の授業で『フロム・ヘル』を扱っているオクラホマ州立大学のマーティン・ウォレンは、「[本作は]切り裂きジャック事件を扱った作品につきものだった扇情性を、暴力とセンセーショナリズムに魅了される我々についての自覚的な比評に変えてみせた。… 我々はこの作品を通して、煽情的な文学や映画が持つ搾取性について語ることができる」と述べている。
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