大陸海軍の誕生
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1775年10月13日、大陸会議は大陸海軍の最初の軍船を造ることを承認し、文書上ではあるが、現在でも公式に認められているアメリカ海軍の誕生となった。 10月の末に、大陸会議は4隻の武装船の購入および艤装を承認した。すぐに海軍委員会が設けられ、商船を購入して戦闘に使えるような艤装の監督を始めた。ジョン・アダムズが起案した法案は11月28日に議会を通った。軍船の指揮官を選ぶとき、大陸会議はそれまでの功績と支援関係から平等に分けようと図った。政治的な理由で選ばれた者達の中からは、エセク・ホプキンスとダドリー・サルトンストール、およびホプキンスの息子のジョン・バローズ・ホプキンスが選ばれた。海戦の経験がある者達の中からは、エイブラハム・ホイップル、ニコラス・ビドル、およびジョン・ポール・ジョーンズが指名された。 12月3日、アルフレッド(大砲数24、英語版)、アンドルー・ドリア(同14、英語版)、カボット(同14、英語版)、およびコロンバス(同24、英語版)の4隻が就役した。12月22日、最初の海軍総司令官にエセク・ホプキンスが指名された。また海軍士官達も指名され就任した。この小さな艦隊を補うために、プロビデンス(大砲数12、英語版)、ワスプ(同8、英語版)、およびホーネット(同10、英語版)が追加された。1776年3月初旬、ホプキンスはこの艦隊を指揮して大陸海軍の最初の作戦行動に出て、バハマのナッソーを攻撃し、大陸軍が大いに必要としていた火薬の倉庫を占領した(ナッソーの戦い)。しかし、艦船から艦船に伝染病が伝播し、喜びも束の間のものだった。 この艦隊にさらにフライ(大砲数8、en:USS Fly)を加え、4月16日、大陸海軍最初の海戦をイギリス軍のグラスゴー(大砲数20、en:HMS Glasgow)との間に戦った(ブロック島沖の海戦)。ホプキンスは海戦中に撤退命令以外の実質的な命令を出すことができなかったので、ニコラス・ビドルが次のようにその様子を伝えている「あたふたあたふた、こっちが逃げればあっちも逃げる("away we all went helter, skelter, one flying here, another there.")」
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