大陸移動説の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 07:11 UTC 版)
大陸移動説に対する評価は様々だった。ヨーロッパやその南半球の植民地などでは当初好意的に評価する研究者も多かった。大褶曲山脈の形成の説明に使われていた地球収縮説が説得力を失いつつあった時代に、大陸移動説は山脈を生み出す別の原動力を与えることができたからである。また、南半球では距離的にごく近いのに生物相がまったく異なるウォレス線のように大陸移動がなければどうしても説明がつかない事例がいくつか発見されていた。大陸移動説がまったく見向きもされなくなった時代でも、南アフリカやオーストラリアの研究者に大陸移動を支持するものがいたのはこのためである。一方、否定的に評価したのはアメリカの研究者たちだった。当時知られていた物理学では、大陸移動をおこすような駆動力は説明ができなかったためである。彼らはしばしば、ヴェーゲナーを専門外の学者として感情的に批判した。日本では寺田寅彦が好意的に紹介したが、1924年のハロルド・ジェフリーズらによる批判が知られるようになると取り上げる研究者は少なくなっていった。 1920年代には大陸移動説に関するシンポジウムが開かれ、ヴェーゲナーの著書が各国で出版されていたが、1926年にニューヨークで開かれたシンポジウムの報告書(1928年)は多くの学者の反対意見で占められ、大陸移動説の死亡報告書とみなされた。1930年のヴェーゲナーの死後、大半の科学者たちは大陸移動説をまじめに取り上げなくなり、数年後にはナチス政権が誕生してドイツの科学界も変貌していった。 現代から見ると不自然な陸橋説より、よっぽど説明力があるように思える大陸移動説が受け入れられなかった理由の一つに、大陸を動かす原動力の説明ができなかったことがよく取り上げられる。地形、地質・古生物・古気候の数々の資料をヴェーゲナーは証拠として提示したが、いずれも状況証拠に過ぎず、当時の一般概念を覆すほどの証拠とは見なされなかった。S.J.グールドは「常識で考えて"起こりえない"出来事はそれが起こったという証拠だけをいくら積み上げても正当に評価されない。いかにしてそれが起こりうるかを説明するメカニズムが必要である」と述べている。また、当時の物理学では大陸が動くことを直接的に証明する方法がなかった。ヴェーゲナーも『大陸と海洋の起源』の中で「測地学的議論」の章を設け、「現在の大陸の位置変化を実測する定量的証明こそ大部分の研究者が最も厳密で信頼できる大陸移動説の検証である」と述べている。
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