大陸移動説からプレートテクトニクスへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 04:21 UTC 版)
「大洋」の記事における「大陸移動説からプレートテクトニクスへ」の解説
20世紀初頭、ドイツのアルフレート・ヴェーゲナーが提唱した大陸移動説はあまりに先駆的過ぎ、移動を起こす動力の説明ができなかったため賛同を得られなかった。しかし、アメリカが第二次世界大戦中から継続した、音波による海底地形の調査から、大西洋の中心に大規模な海底山脈(大西洋中央海嶺)が発見された。この地質構造を調査したモーリス・ユーイングらによって、海嶺を挟んだ対称構造と、離れるほどに堆積物が厚くなる様子が明らかになった。1960年代には、中央海嶺が火山の連なりと判明し、ハリー・ハモンド・ヘスとロバート・シンクレア・ディーツによって海洋底拡大説が提唱された。この証明を目指し立案されたモホール計画は深海掘削計画へ発展し、海洋底の拡大が確認された。海洋底調査はさらに国際深海掘削計画の段階へ進み、海洋性地殻の分布を地球規模で解き明かし、また残留磁場の縞模様から地殻が拡大した経過も知らしめた。これらの結果を踏まえ、海洋底拡大説はプレートテクトニクスへと発展した。
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