大桑発電所他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:35 UTC 版)
1916年に申請していた大桑第一・同第二・読書・賤母4地点の水利権は、先に許可された賤母以外の3地点も1917年9月5日付で許可が下りた。このうち大桑第二水力を「大桑発電所」として翌1918年(大正7年)7月に工事許可を受けて、木曽電気製鉄発足後の同年10月に着工する。同発電所にはアリス・チャルマーズ(英語版)製水車3台、ウェスティングハウス製発電機3台および変圧器が設置され、大同電力発足後の1921年8月11日より運転を開始した。出力は当初8,000キロワット、取水量増加により翌1922年9月以降は1万1000キロワットである。 大桑第一水力は水路が長すぎることから分割され上流側を「駒ヶ根水力」、下流側を「須原水力」とし、さらに景勝地寝覚の床が途中にあることから駒ヶ根水力も「寝覚水力」「桃山水力」に分割、計3地点とされた。読書とあわせていずれも大同電力発足後に着工された。まず須原発電所(9,200キロワット)が発足直後に着工され、翌1922年7月に竣工。続いて1922年3月読書発電所(よみかき、4万700キロワット)、同年8月桃山発電所(2万3100キロワット)が着工され、ともに翌1923年(大正12年)12月に竣工した。残る寝覚発電所(3万2600キロワット)は開発が延期されたため、15年後の1938年(昭和13年)9月運転開始である。 上記4地点の水利権申請に附帯して1916年6月、木曽川支流与川における水利権も申請していた。発電所工事に用いる電力を発電するためで、1917年4月に許可を受け、同年10月に与川発電所として竣工した。その後工事終了とともに発電を休止したが、大同電力時代に信美電力(後の木曽発電)へ水利権ごと移譲され、出力を240キロワットから1,760キロワットに変更した上で1927年(昭和2年)1月より再稼動した。
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