大械闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 01:48 UTC 版)
珠江デルタの客家人たちは、清軍による天地会蜂起の鎮圧に協力した。清軍は蜂起の参加者を完全に掃討するため、本地人の村を襲撃することを決定。これにより客家と本地人の対立は一層激化し、本地人たちは復讐のために客家人の村を襲撃した。 村は守りを強化し、男たちは敵との戦いに集結した。戦闘は大規模な紛争に発展した。本地人の人口が客家を圧倒していたために、客家側の被害は甚大であった。清は矛盾の解決のために客家を分離する政策を取り、客家を広西省に再移住させた。その結果、五邑の客家の割合は3%にまで落ち込んだ。また敗北した客家人たちは、香港とマカオを経由して南アメリカやキューバに向けた苦力として人身売買の対象となった。 客家と本地人の対立は、海外の華人社会では20世紀前半まで見受けることができた。
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