大桑村方面の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 16:48 UTC 版)
新政府軍は毎日1小隊ずつを大桑村付近の隘路の入り口に派遣して、警戒していた。閏4月17日に至って前夜に高徳や小佐越に数百名の敵が進軍したとの報告があった。翌18日に、この警報を受けて斥候を大桑に派遣したところ、敵軍が出撃したという通報を得て土佐藩は九番隊を先発させ、続けて3小隊を会津西街道の本道から、また1小隊を間道から進軍させて旧幕府軍を急襲する計画で迎撃に向かった。土佐藩は彦根藩にも敵襲を知らせ、彦根藩は増援として3小隊を今市北北西の小百を経て大桑に出撃させた。 旧幕府軍主力の出撃を考慮して迎撃態勢を整えた新政府軍であったが、旧幕府軍は僅か50名程度で大桑に進入した。待ち構えていた土佐藩九番隊は直ちにこの小部隊を攻撃した。旧幕府軍は不意打ちに狼狽して潰走した。土佐藩兵は深追いせずに大桑から今市に引上げた。一方彦根藩兵は銃声を聞いて前進したが既に戦闘は終結しており土佐藩兵とともに今市に帰陣した。本戦闘は小規模であったが、土佐藩兵にとっては久方ぶりの戦闘であり士気を高揚させることになった。
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