大棘の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 10:21 UTC 版)
紀元前607年、宋は鄭に攻められ、華元と楽呂がこれを迎え撃った。華元は見事に兵を進退させ、自軍に有利な陣をしいた。しかし決戦前夜、華元は全軍に羊の肉を振舞ったが御者の羊斟には羊の肉を与えなかった。このことを恨んだ羊斟は、翌日の戦いで華元の乗る兵車を、鄭の指揮官のもとへと運んだので、華元は捕えられ、混乱した宋軍を率いて奮戦した楽呂は戦死した。 文公は鄭に贈物をして華元を取り戻そうとしたが、華元は贈物が鄭に半分届いた段階で鄭を脱出した。宋に帰った華元は羊斟を許したが、羊斟は魯に出奔した。
※この「大棘の戦い」の解説は、「華元」の解説の一部です。
「大棘の戦い」を含む「華元」の記事については、「華元」の概要を参照ください。
- 大棘の戦いのページへのリンク