大型車乗り入れまでの経緯とは? わかりやすく解説

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大型車乗り入れまでの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 18:04 UTC 版)

高松琴平電気鉄道長尾線」の記事における「大型車乗り入れまでの経緯」の解説

高松琴平電気鉄道#運転形態及び変遷」も参照 鉄道線としてスタートした琴平線対し長尾線志度線は、開業時に2軸電車使用した軌道線として設計されたため橋梁重量制限カーブ制限厳しかった終戦直後路線改良16m級車両まで入線できるようになり、1960年代には16m級3両編成での運転が可能になった。後に橋梁重量制限も1両あたり30t未満までになり、17m級車の850形入線可能になった。1983年に17m級車(860形880形・890形)を入線させた際には、重量を30t未満抑えるために制御車化せざるを得ずそれ以上大きさ車両入線することができなかった。そのため、大手私鉄から小型車淘汰され1980年頃を境に、車両代替滞るその後何度車両調達試みたものの、車両大きさ廃車時期不一致ですべて破談となった1998年より名古屋市営地下鉄車両導入することで、代替一気進んだ。しかし種車確保できず、長尾志度両線の運用全車両を置きかえるまでには至らなかった。そこで2003年に、長尾線線路繋がっている琴平線と同じ18m級車の入線可能なように改良して大型車導入余剰となる長尾線冷房化された小型車を、志度線転出させ、両線の非冷房車を完全に置き換える案が持ちあがった橋梁に関して平木以東に未改良のものが2箇所存在していた。このため2004年4月3000形の2連にレール積み込んだ試験列車走らせて確認行った結果問題がなかったため、この計画大きく推進されることになる。一方曲線に関しては、水田 - 西前田にある吉田川橋梁前後は、既に橋梁架け替え同時に改良を行うことが具体化していたので問題はなかった。また駅構内が急曲線上に存在する木太東口駅に関しては、ホーム改築路線位置多少ずらすことで対処した。他の駅でもホームを削る工事実施され在来車両には転落防止ステップ取りつけられた。 2006年7月長尾線1200形2編成4両が投入され大型車運行開始された。さらに同年12月には1200形1編成2両、2007年7月には1300形2編成4両が投入され長尾線冷房化100%達成した置き換えられる形で順次仏生山工場から冷房付き600形今橋工場転出し全車両の転出をもって志度線100%冷房化達成した。なお1両あたりの定員増加に伴いラッシュ時増結廃止され、全列車2両編成となった2011年9月には1300形2編成4両が投入され大型車増やした。現在はほぼすべての列車大型車での運行となっている。 架け替え前の吉田川橋梁小型車両600形電車。(2004年大型車かつ長尾線ラインカラーである緑色1200形電車。(2018年

※この「大型車乗り入れまでの経緯」の解説は、「高松琴平電気鉄道長尾線」の解説の一部です。
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