売却の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:00 UTC 版)
「南アメリカの建艦競争」の記事における「売却の試み」の解説
リオデジャネイロがオスマン帝国に売却された後、アルゼンチン政府は世論に屈して、弩級戦艦2隻の売却先を探し始めた。売却で得た資金は内政に回す予定だった。戦艦の売却議案は1914年中にアルゼンチン議会に提出されたが、その議決では敗北した。英独政府ともにアルゼンチン戦艦が敵国に売却されたことを恐れ、購入に興味を持った国は露墺伊に加えてオスマン帝国とギリシャ王国の5か国だった。うち、ギリシャが興味を示したのはオスマン帝国のリオデジャネイロ購入への危機感によるものだった。 ニューヨーク・トリビューンは4月末の報道でアルゼンチン政府がギリシャからの1,750万ドルでモレノのみを購入するとの提案を拒否した。建造に要した支出が1,200万ドルだったため、もし成立した場合はアルゼンチン政府の大きな収益になっていた。米国は自身の中立が守られず、また自身の技術が外国に研究されることを恐れてアルゼンチン政府に売却しないよう圧力をかけ、アルゼンチンが屈した形となった。また1913年末と1914年初にはギリシャがオスマン帝国のリオデジャネイロ購入に対抗してチリの1隻目の弩級戦艦を購入すると報じられ、チリ国内でも弩級戦艦を1隻または2隻とも売却するとの世論が盛り上がってきたが、結局売却はされなかった。 南アメリカの建艦競争に参加した全ての国で弩級戦艦を売却して、その収益をより有用なものに使う動きが出た。弩級戦艦に必要な支出は巨大であり、ブラジルの新聞は弩級戦艦3隻の初期購入コストを3,125マイルの線路か、農家30,300軒のコストと同等とした。海軍史(英語版)家ロバート・シェイナ(Robert Scheina)は弾薬(605,520ポンド)とドック改修工事(832,000ポンド)の支出を除く戦艦の支出を6,110,100ポンドとした。さらにミナス・ジェラエスとサン・パウロの就役から5年間の維持費が初期費用の約6割に上った。リバダビア級戦艦2隻はアルゼンチン政府の歳入の約2割を費やし、これにさらに維持費を足す必要がある。歴史家のロバート・マッシーはこの数字を四捨五入して、各国政府の歳入の4分の1を占めるとした。 最初に建艦競争を激化させた民族主義の感情も経済衰退により減退、世論は国内への投資に傾くようになった。アメリカ駐チリ特命全権公使(英語版)ヘンリー・プレイザー・フレッチャーは国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアンに対し、「海軍の競争が1910年に始まって以来、当時すでにそれほど良くはなかった財政状況は悪化した。最後の支払いが近づくにつれて、これらの国は戦艦よりもお金が必要であると感じるようになった」と述べた。
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