墳形・規模
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 21:32 UTC 版)
1968年(昭和43年)に近藤義郎が、古い段階の前方後円墳は前方部が途中から撥型(ばちがた)に大きく開くことを指摘し、この墳形を呈する箸墓古墳も古い古墳であると考えられるようになった。測量図の等高線の様子から前方部正面が現状より拡がっていたことが分かる。前方部の先が撥型に開いている他の古墳は、兵庫県たつの市の養久山(やくやま)1号墳、同県の権現山51号墳、京都府木津川市の椿井大塚山古墳、岡山県岡山市の浦間茶臼山古墳などがある。ちなみに浦間茶臼山古墳は箸墓古墳の2分の1の相似形といわれ、長さも幅も2分の1であるが前方部の頂の形は横長の長方形と台形の違いがある。 現状での規模は墳長およそ278メートル、後円部は径約150メートル、高さ約30メートルで、前方部は前面幅約130メートル、高さ約16メートルを測る。その体積は約37万立方メートル。周辺地域の調査結果から、本来はもう一回り大きかった可能性もある。 後円部は四段築成で、四段築成の上に小円丘(径約44-46メートル、高さ4メートルの土壇、特殊器台が置かれていたと考えられる)が載ったものと指摘する研究者(近藤義郎等)もある。前方部は側面の段築は明瞭ではないが、前面には4段の段築があるとされる。ちなみに五段築成(四段築成で、後円部に小円丘が載る)は箸墓古墳のみで四段築成(三段築成で、後円部に小円丘が載る)は西殿塚古墳(大和古墳群)、行燈山古墳(柳本古墳群)、渋谷向山古墳(柳本古墳群)、桜井茶臼山古墳(鳥見山古墳群)、メスリ山古墳(鳥見山古墳群)、築山古墳(馬見古墳群)等が考えられ他の天皇陵クラスの古墳は全て三段築成(後円部も前方部も三段築成)とされる。被葬者の格付けを表しているのかも知れない。 奈良県立橿原考古学研究所や桜井市教育委員会による陵墓指定範囲外側の発掘調査により、墳丘の裾に幅10メートルの周壕とさらにその外側に幅15メートル以上の外堤の一部が見つかっている。後円部の東南側の周濠部分では両側に葺石を積み上げた渡り土手が見つかっている。 また、1994~95年(平成6~7年)に行われた発掘調査により、外提のさらに外側に深さ2メートル、幅50メートルほどの「外濠状遺構」と呼ばれる広大な落ち込みが確認されており、墳丘・周濠・外提を取り囲んでいると推定されている。これは、墳丘を構築土を採集した土取りによる落ち込み地形と推定されている。
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