墳裾外周部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 20:25 UTC 版)
墳丘外周からは、66人分以上と推定される甕棺墓3基、石蓋土壙墓32基(未調査5・不明2を含む)、箱式石棺墓7基、竪穴式石室墓13基、構造不明7基の埋葬施設が確認されている。甕棺は糸島地区にみられる甕棺専用大型土器の系統に連なり、その末期型式に位置づけられる。第7号箱式石棺墓(H7)では、石棺の両小口側(短辺側)それぞれに朱に染まった粘土塊があることから枕の痕跡と捉え(人骨は見つかっていない)、被葬者2体の頭位を逆にして同じ棺に埋葬した「差し違い2体葬」と考えられた。このような「差し違い2体葬」は当墓のほか、祇園山古墳の南に位置する祇園山2号墳の墳丘直下で検出された石蓋土壙墓でも見つかっている。 墳裾外周の埋葬施設群は、方墳とほぼ同時期に造られた甕棺墓を最古として、石蓋土壙墓・箱式石棺墓・竪穴式石室墓へと墓制が時期差を持って変遷しており、墓制・遺物の検討からおよそ半世紀ほどの期間で造営された集団墓と考えられている。また、このような大型の主墳の墳裾に複数の小型埋葬施設が従属的に造られる事例は、祇園山古墳以外にも久留米市の七曲古墳群(旧・放光寺古墳群)や岡山県赤磐市の用木古墳群など、各地で見られる。
※この「墳裾外周部」の解説は、「祇園山古墳」の解説の一部です。
「墳裾外周部」を含む「祇園山古墳」の記事については、「祇園山古墳」の概要を参照ください。
- 墳裾外周部のページへのリンク