墳形と規模
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/04 08:00 UTC 版)
愛知県教育委員会による測量図によると、墳長95m、後円部径52m、後円部高さ7.5m、前方部幅50m、前方部高さ5.5mを測る。 主軸をほぼ東西に置き、N-100°-W。現在の本墳の周囲は宅地化が進んでいるが、地籍図によると、周囲には盾形の周濠と外堤が存在していたことが推測できるとする。現状でもわずかに北西側に堤の痕跡だけが残る。前方部南西側は妙感寺境内の墓地になり改変を受けている。くびれ部には稲荷神社が鎮座する。後円部頂にはかつて建物が存在したようで、広く平坦である。 総じて墳形は後世の改変を受けているものの、よく保存されており、特に北側斜面は当時の景観を残している。なお外堤の北西側は名鉄犬山線により大きく破壊されている。墳丘上では土器・埴輪等は確認できないが、河原石による葺石が確認できる。墳頂から4.5m下方で斜面の変換点が存在し、段築が存在する可能性がある。
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