二子古墳
名称: | 二子古墳 |
ふりがな: | ふたごこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 愛知県 |
市区町村: | 安城市桜井町 |
管理団体: | 安城市(昭3・3・22) |
指定年月日: | 1927.10.26(昭和2.10.26) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 昭和30.05.08 |
解説文: | 前方後圓型ニシテ南方ニ面ス 封土ノ高サ前方部二十二尺後圓部三十三尺全長約二百六十尺此地方ニ於ケル規模壯大ナル古墳ニシテ且善ク保存セラレタルモノノ一ニ属ス 前方後円型ニシテ南方ニ面ス 封土ノ高サ前方部二十二尺後円部三十三尺全長約二百六十尺此ノ地方ニ於ケル規模壯大ナル古墳ニシテ且善ク保存セラレタルモノノ一ニ属ス |
二子古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 10:11 UTC 版)
二子古墳(ふたごこふん)は、愛知県安城市二タ子(ふたご)・印内にある古墳時代前期の前方後方墳。1927年(昭和2年)に国の史跡に指定されている。
- ^ a b 小栗鐵次郎「碧海郡桜井村大字桜井二子古墳」『愛知県史蹟名勝天然記念物調査報告』第14 愛知県(1936年)
- ^ a b c 愛知県史編さん委員会編集『愛知県史 資料編3』愛知県(2005年)
- ^ a b c d 「二子古墳」『新編安城市史』10 史料編考古 安城市(2004年)
- ^ 「付編 安城市内の古墳」『史跡二子古墳』安城市教育委員会(2007年)
- ^ 『桜井村村誌』碧海郡桜井村(1887年)
- ^ a b c d e f g 「第4章 二子古墳保存管理計画」『桜井古墳群保存管理計画書』安城市教育委員会(2015年)
- ^ 昭和2年内務省告示第466号(参照:[1])
- ^ 大塚初重「前方後方墳序説」『明治大学人文科学研究所紀要』第1冊 明治大学(1962年)
- ^ 『資料編 桜井町の古墳』桜井町文化財保護委員会(1959年)
- ^ 天野信治「愛知県安城市二子古墳について」『考古学フォーラム』4 (1994年)
- ^ 「第3章 墳丘の調査」『史跡二子古墳』安城市教育委員会(2007年)
- ^ a b c d e f 「第5章 考察」『史跡二子古墳』安城市教育委員会(2007年)
- ^ 「第6章 まとめ」『史跡二子古墳』安城市教育委員会(2007年)
- ^ 西島庸介「古墳出現前後の三河」赤塚次郎編『尾張・三河の古墳と古代社会』東海の古代3 同成社(2012年)
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