桜井古墳群
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1:塚越古墳(前方後円墳または前方後方墳) 2:東川古墳 3:三ッ塚1号墳 4:三ッ塚2号墳 5:三ッ塚3号墳 6:愛染古墳 7:印内北分1号墳 8:印内北分2号墳 9:二子古墳 10:比蘇山(ひそやま)古墳(前方後円墳または前方後方墳) 11:山伏塚古墳(前方後円墳) 12:碧海山古墳 13:堀内古墳(前方後円墳) 14:もも塚古墳、 15:獅子塚古墳(前方後円墳か) 16:姫塚古墳 17:崖古墳 18:姫小川古墳(前方後円墳、国の史跡) 19:王塚古墳 20:加美古墳 21:八ツ塚古墳。
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桜井古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 02:13 UTC 版)
桜井古墳群は、新田川に沿って東西に長狭なかたちに広がり、桜井古墳を含む東側の「上渋佐支群」と西側の「高見町支群」とに大別される。桜井古墳(1号墳)は両支群のほぼ中央(上渋佐支群のなかでは西端に近い場所)に位置しており、編年上も古墳群のなかで最も古い年代が想定されている。 上渋佐支群は、前方後方墳1基、方墳1基、円墳9基、土坑墓1基で構成される。 高見町支群は、広がりとしては上渋佐支群の半分以下の範囲でしかないが、前方後方墳1基、円墳20基、方墳1基、土坑墓5基で構成され、古墳の数では上渋佐支群を上まわっている。両支群の間にはスギ林が広がっている。 上渋佐支群7号墳は、一辺27.5メートル、高さ3.3メートルの方墳である。方墳としては東北地方でも規模の大きい部類に属する。1999年(平成11年)に発掘調査がおこなわれた。周溝は全体的に不整形をなし、墳丘の平坦面の真下に墓穴が二段で掘り込まれている。この築成法は北陸地方の前期古墳に特徴的であり、墓穴に納められた棺は板材を組み合わせた箱形の組合わせ式木棺で、その両端で白色粘土塊を確認している。棺のなかからは銅鏡が布に包まれた状態で出土している。年代的には、桜井古墳群のなかでは1号墳(桜井古墳)とともに最古の部類に属しており、上述の調査結果は未調査の1号墳主体部の様子を示唆するものとも言われる。東北地方の古墳では銅鏡の出土例は他に類例が少ないところから、2000年(平成12年)には市の指定史跡になっている。なお、1999年には上渋佐支群2号墳、3号墳、13号墳の調査もおこなわれている。 上渋佐支群2号墳は、1号墳(桜井古墳)の前方部のすぐ西、上渋佐支群の西端にあり径20メートルの円墳である。墳頂には割竹形木棺と推定される痕跡がある。5世紀の築造と考えられる。
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