桜井古墳群とは? わかりやすく解説

桜井古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 10:11 UTC 版)

二子古墳」の記事における「桜井古墳群」の解説

1:塚越古墳前方後円墳または前方後方墳) 2:東川古墳 3:三ッ塚1号墳 4:三ッ塚2号墳 5:三ッ塚3号墳 6:愛染古墳 7:印内北分1号墳 8:印内北分2号墳 9:二子古墳 10比蘇山(ひそやま)古墳前方後円墳または前方後方墳11山伏古墳前方後円墳12碧海古墳 13堀内古墳前方後円墳14:もも塚古墳15獅子古墳前方後円墳か) 16姫塚古墳 17:崖古墳 18姫小川古墳前方後円墳、国の史跡19王塚古墳 20加美古墳 21:八ツ塚古墳

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桜井古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 02:13 UTC 版)

桜井古墳」の記事における「桜井古墳群」の解説

桜井古墳群は、新田川沿って東西長狭なかたちに広がり桜井古墳を含む東側の「上渋佐支群」と西側の「高見町支群」とに大別される桜井古墳1号墳)は両支群のほぼ中央(上渋佐支群のなかでは西端に近い場所)に位置しており、編年上も古墳群のなかで最も古い年代が想定されている。 上渋佐支群は、前方後方墳1基、方墳1基、円墳9基、土坑墓1基で構成される高見町支群は、広がりとしては上渋佐支群の半分以下の範囲しかないが、前方後方墳1基、円墳20基、方墳1基、土坑墓5基で構成され古墳の数では上渋佐支群を上まわっている。両支群の間にはスギ林広がっている。 上渋佐支群7号墳は、一辺27.5メートル、高さ3.3メートル方墳である。方墳としては東北地方でも規模大き部類属する。1999年平成11年)に発掘調査おこなわれた周溝全体的に不整形をなし、墳丘平坦面の真下墓穴二段掘り込まれている。この築成法は北陸地方前期古墳特徴的であり、墓穴納められ板材組み合わせた箱形組合わせ木棺で、その両端白色粘土塊確認している。のなかからは銅鏡が布に包まれた状態で出土している。年代的には、桜井古墳群のなかでは1号墳桜井古墳とともに最古部類属しており、上述調査結果は未調査1号墳主体部様子示唆するものとも言われる東北地方古墳では銅鏡出土例は他に類例少ないところから2000年平成12年)には市の指定史跡になっている。なお、1999年には上渋佐支群2号墳3号墳、13号墳の調査おこなわれている。 上渋佐支群2号墳は、1号墳桜井古墳)の前方部のすぐ西、上渋佐支群の西端にあり径20メートル円墳である。墳頂には割竹形木棺推定される痕跡がある。5世紀築造考えられる

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