二子塚古墳 (池田市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 二子塚古墳 (池田市)の意味・解説 

二子塚古墳 (池田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/14 22:52 UTC 版)

二子塚古墳

墳丘
別名 稲荷山古墳[1]/新家稲荷山古墳[2]
所在地 大阪府池田市井口堂1丁目5[3]
(井口堂公園内)
位置 北緯34度48分47.40秒 東経135度26分38.95秒 / 北緯34.8131667度 東経135.4441528度 / 34.8131667; 135.4441528座標: 北緯34度48分47.40秒 東経135度26分38.95秒 / 北緯34.8131667度 東経135.4441528度 / 34.8131667; 135.4441528
形状 前方後円墳
規模 墳丘長45m
埋葬施設 後円部:両袖式横穴式石室
前方部:横穴式石室
出土品 須恵器[4]
築造時期 6世紀前半
史跡 なし
地図
二子塚古墳
テンプレートを表示

二子塚古墳(ふたごづかこふん)は、大阪府池田市井口堂にある古墳。形状は前方後円墳。史跡指定はされていない。

概要

大阪府北部、秦野台地から南に延びる丘陵の南端部に築造された古墳である[1]。現在では墳丘上に稲荷社が祀られている。1914年大正3年)に梅原末治により学会に紹介されたほか[2]1986年度(昭和61年度)に発掘調査(第1次調査)が実施されている[3]

墳形は前方後円形で(かつては双円墳とも[3])、前方部を北東方向に向ける。墳丘長は約45メートルを測る[1]。墳丘外表で葺石埴輪は認められていない[1]。埋葬施設は後円部・前方部における各1基の横穴式石室である。後円部石室(南石室)は両袖式で石室全長6.7メートルを測るが、前方部石室(北石室)は埋没しており詳らかでない[1]。また副葬品も詳らかでない[3]

築造時期は、古墳時代後期前半の6世紀前半[1](または6世紀中葉[2])頃と推定される。猪名川流域では最後の前方後円墳と位置づけられる古墳になる。

脚注

参考文献

  • 史跡説明板(池田市教育委員会・公園管理者、2011年設置)
  • 地方自治体発行
    • 池田市埋蔵文化財発掘調査概報』 1986年度、池田市教育委員会〈池田市文化財調査報告書第5集〉、1987年。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
    • 『新修池田市史』 第1巻(地理・考古・古代・中世編)、池田市、1997年。 
  • 事典類

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  二子塚古墳 (池田市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二子塚古墳 (池田市)」の関連用語

二子塚古墳 (池田市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二子塚古墳 (池田市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの二子塚古墳 (池田市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS