在任中の事績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:46 UTC 版)
着任直後の2009年(平成21年)8月に行われた衆議院議員総選挙の結果、翌9月には自由民主党を中心とする政権から民主党を中心とする政権へ、戦後日本で初めてとなる本格的な政権交代が生じた。また、在任中の2012年(平成24年)12月に行われた衆議院議員総選挙の結果、民主党を中心とする政権から自由民主党を中心とする政権へ、再び政権交代が生じた。ルースが駐日米国大使に在任した4年間に、内閣総理大臣は5人、外務大臣は実に7人を数えることとなった。ルースは、この政権交代期における日米関係の維持に重要な役割を果たした。 2010年8月6日にはアメリカ合衆国政府代表としてはじめて広島平和記念式典に出席。同年、9月26日には長崎県の原子爆弾落下中心地碑に献花をした。2012年8月9日には、駐日米国大使として初めて長崎平和祈念式典に参加した。2013年6月23日の沖縄慰霊の日には沖縄全戦没者追悼式に出席し、同年8月には6日の広島平和記念式典、9日の長崎平和祈念式典にも、それぞれ出席した。 2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震による東日本大震災と、それに続く福島第一原子力発電所事故にあたっては、ルースは、広範な分野で前例のない大災害に対応する日本を支援するという米国の目標達成に向け指導力を発揮した。同年10月には、大震災の前後にわたってルースが示した卓越したリーダーシップと革新的なマネージメントが評価され、アメリカ合衆国国務省から模範的外交官に与えられる「スー・M・コブ賞」が授与された。 ルースは、大使着任後3年間で、日本の47都道府県のすべてを訪れ、政府・地方自治体の幹部、財界人、報道関係者、学生との関係を築き、活発で実りのある対話を重ねてきた。2012年には、経済界への協力が評価され、在日米国商工会議所の「2012年パーソン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。 ルースはまた、「TOMODACHIイニシアチブ」が創設される際にも指導力を発揮した。この「TOMODACHIイニシアチブ」とは、「東日本大震災後の日本の復興支援から生まれ、教育・文化交流、起業支援、指導者育成といったプログラムを通して、日米の次世代のリーダーに投資する官民パートナーシップ」である。ルースは、「TOMODACHIイニシアチブ」での功績が認められ、2012年12月、広報分野での優れた業績に対して与えられる国務省の「特別金賞」(Special Gold Standard Award for Public Affairs Excellence)を受賞した。 2010年9月9日には、駐日米国大使として初めてTwitterのアカウント(@AmbassadorRoos)を登録し、日本語と英語によりメッセージを発信した。 2013年8月の離任にあたっては、「(駐日大使である4年間に自分は5人の首相と付き合ったが、次期駐日大使に決まったキャロライン・ケネディは)1人の首相と付き合えばいいのだから、うらやましい…」。「(妻の)スージーと私は、あらゆる意味で、いつまでも日本のトモダチです。さようなら。(Susie and I will always be, in every sense of the word, Japan's tomodachi. Sayonara.)」と述べた。
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