国内改革の推進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:35 UTC 版)
『万国公法』などが説く近代国際法は、単に国際関係の変化を迫っただけではなく、国内改革の推進剤ともなった。近代国際法の完全な適用を受けるためには「文明国」と認められねばならないためである。「文明国」と認められるためには以下の条件を満たす必要があった(広瀬1978、小林2002)。 主権国家であること。つまり一定程度の領域及びそこに住む人民に国家の基礎をおいた統治組織が存在し、しかも領域内では、その統治権が排他的に確立され、他国から干渉を排し独立していること(内政不干渉)。 条約等の国際法を遵守する意志と能力を有していること。 既存の「文明国」(すなわち西欧諸国)により「文明国」加入を支持されていること(具体的には条約改正)。 1及び2の二つとも満たさない場合、「未開国」と見なされ、その行き着く先は列強の植民地であった。前者だけを満たす場合、「半文明国」とされて国家として承認されるものの、西欧諸国と同等の扱いを受けることはできず、不平等条約(関税自主権喪失・領事裁判権及び広範な治外法権の設定等)によって著しく劣等な立場に置かれた。近代国際法は「理念」として万国平等を謳いながら、現実では非西欧諸国を差別する国際秩序を支えており、このような「理念」と現実との落差に対し、やがて失望とシニカルな感想、そして理念よりも国力を重視する姿勢が出てくることは自然であった。これまで挙げた薛福成や西周、兪吉濬といった『万国公法』に肯定的な意見を持つ人々ですら、国際法の適用を受けるためには富国強兵という裏打ちが必要不可欠であることは強く意識していたのである(金鳳珍2004)。それは非西欧諸国が主権国家となるための国内改革を推進していく強い動機となった。 さらに3の条件は、具体的には不平等条約の撤廃・平等な条約の再締結によって達成されるが、それは既存の「文明国」、つまり西欧国家にどれほど近似しているかという主観的な点から判断された。したがって国内改革の方向は必然的に西欧化の方向を取らざるを得なくなる。中国の洋務運動や戊戌変法、日本の明治維新における一連の改革、朝鮮の甲午改革・光武改革といった諸改革が、その変革に当たる。 だが、国内改革を行い主権国家としての体制を確立することと伝統的な国家観を維持しようとする既存の政治体制の努力との間には矛盾を含んでおり、それが国家体制の根幹に関わる改革を阻むこととなった。これに対して国家主権の危機をより深刻に受け止めた若い知識層を中心に発生したナショナリズムは既存の体制を根幹から否定して徹底した改革を断行する体制の確立を求めるようになる。それが日本では朝廷を擁して江戸幕府を倒幕する一方で既存の朝廷組織を解体して全く新たな明治政府を樹立した明治維新へと向かい、中国においては王朝体制の存在そのものを否定する辛亥革命へと向かうようになる。
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