国内政治の行き詰まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 17:42 UTC 版)
「グレゴワール・カイバンダ」の記事における「国内政治の行き詰まり」の解説
1960年代後半の時期は、イニェンジによるテロ活動が弱まりつつあり、カイバンダ政権によるツチの殺害が大規模には起こらなかった時期である。その一方で、物資の不足は深刻で世界最貧国の1つのままであり、検閲のため自由な発言はできず、エリート層ですら息苦しい空気を感じるようになり始めた。 1960年代半ばまでにはフツの若者の不満も高まりつつあった。貧乏のため初等教育すら終えられないフツは多数おり、また、大学を卒業しても失業したままの学生も増えだしていた。一般市民生活の中でフツが主要な地位を占めていないという批判が次第に高まっていった。特に、教育と雇用の分野に対する政府批判が強かった。その圧力の結果の1つが、1966年8月に制定された法律で、公立・私立を問わず教育機関に対して政府の介入を強めるものだった。 1970年代に入るとカイバンダは求心力を失い始めた。1972年から1973年になると、カイバンダは自身の権力の衰えを自覚するようになった。1972年半ばになると、カイバンダは次第に政府所有の王宮の中に隠遁するようになりだした。
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