吉川経言養子縁組問題とは? わかりやすく解説

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吉川経言養子縁組問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 17:17 UTC 版)

小笠原長治 (次郎右衛門尉)」の記事における「吉川経言養子縁組問題」の解説

長らく石見小笠原氏当主・長旌に後継となる男子がいなかったことから、長旌の養子として吉川元春の四男・吉川松寿丸を長旌の養子としたい旨を、市川春俊を通じて申し入れた。しかし、松寿丸天正6年1578年)に死去したため、長治は元春の三男吉川経言(広家)の入嗣を要請したが、天正7年1579年)に宇喜多直家南条元続毛利氏から離反したことで、南条元続討伐のために元春や元長が伯耆国因幡国等へ出陣することとなったため、この時は経言の石見小笠原氏入嗣の話はまとまらなかった。 天正8年1580年8月長治石見小笠原氏重臣合議し小笠原長秀小笠原元枝小笠原長往、小笠原長益小笠原長治小笠原長貞小笠原長扶、小笠原長江小笠原長秋の9名が加判した連署起請文提出し重ねて経言の石見小笠原氏入嗣を要請したまた、9月には長秀、長往、長江、元長治の5人が連署書状市川春俊に送り、元春へ取り成し依頼した天正9年1581年1月7日、長旌の祖母反対により話がまとまらないとして、説得努めるよう長旌から命じられる同年3月、経言の入嗣に関して吉川氏側は経言の入嗣に納得し石見小笠原氏側の意向変わってなければ小早川隆景口羽通良らと談合し毛利輝元許可得た上で決定するとの元春の返答長治長秋送られている。しかし、同年6月に輝元の強硬な反対を受け、経言の石見小笠原氏入嗣の話は白紙となった。なお、この時輝元は長治について、さし当たって毛利氏忠誠尽くしているが、本心ではどう考えているか分からず長治内心信用できない述べている。 その後小笠原元枝が佐兵部少輔宛てた不詳8月11日付の書状(佐文書)において、毛利輝元の命により小笠原長治自害した旨が記されており、長治自害時期養子縁組問題終息し天正10年1582年)と考えられている。また、天正10年比定9月28日付で小笠原長旌井原経信に宛てた書状庵原家文書)によると、井原経信が長治加担した子・井原十郎右衛門勘当した処置を長旌が承認し今後井原縁信を取り立てる旨を述べている等、長治加担した者に対す処置行われている。

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吉川経言養子縁組問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 17:27 UTC 版)

小笠原長旌」の記事における「吉川経言養子縁組問題」の解説

長旌は病弱であり、実子がいなかったことから、重臣小笠原長治吉川氏から養子迎えようと画策当初吉川元春の四男・吉川松寿丸養子迎えたい要請したが、まもなく松寿丸早世したため天正7年1579年)に元春の三男吉川経言養子迎えることを要請。経言も父を押し切る形でこの話に乗った。ところが、天正9年1581年)、小笠原氏吉川氏の間で養子縁組合意がなされ、残るは主君毛利輝元承認を受けるだけという段階に至って、輝元が激しく反対したため、この養子縁組取り止められた。 光成準治はこの養子縁組の話を、長旌からすれば吉川氏から養子入れて毛利氏一門になることで毛利氏没収され本領温湯城返還につながるという期待から始まり所領乏し吉川氏庶流である宮庄氏を継ぐことになっていた経言は自己への待遇低さ対する不満からこれ応じ一方の輝元は家中での吉川氏発言力増大と旧尼子方でも最後まで毛利抵抗していた小笠原氏家格上昇は他の旧尼子家臣とのバランスを崩すことへの警戒感から反対したと解説する(後に輝元は経言の不満を解消させる為に隠岐国一国与えることになる)。

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