史上最速のGI制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 16:24 UTC 版)
2011年よりS級1班に昇班し、直後初のレースとなった1月の立川競輪G3で記念競輪を初優勝すると、6月に前橋競輪場で開催された第62回高松宮記念杯競輪決勝では最終ホームから一気に捲り切り、そのまま押し切ってG1初優勝をデビュー最短記録更新で飾り(684日目で従来は吉岡稔真)、1990年代生まれ平成生まれ初のタイトルホルダーとなった。これにより出場権を獲得したKEIRINグランプリ2011では逃げて7着となっているが、このレースの下馬評では、村上義弘との新旧先行日本一対決となるというものであったのにも関わらず、優勝した山口幸二のアシストに徹したとも取れる競走を行ったため、一部からは激しい批判が起きた。12月27日よりS級S班に昇班した。 2012年は2月に高知競輪場で開催された東西王座戦西王座戦で、内側に押さえ込まれ続けながらも最終4角で隙を突いて抜け出し、最終開催だったこのレース最後の優勝者となった。その後も日本選手権競輪(熊本)・高松宮記念杯競輪(函館)・寬仁親王牌(弥彦)の決勝に進出し、年間獲得賞金上位(5位)でKEIRINグランプリ2012へ出場したが8着となる。 2013年の日本選手権競輪では、準決勝において後方からの捲りで立川競輪場の記録タイムを0.3秒縮めるバンクレコードを樹立した。翌日の決勝では2着となったが、その後の特別でも決勝での2着が続いてしまい、年間ではG1 4回・G2 1回で決勝2着という優勝まであと一歩のレースが多かった。しかし、そのうち2回のGIで師匠の金子貴志を優勝に導く走りを見せ、年間賞金も1億円を超え賞金枠のトップでKEIRINグランプリ2013への出場を決めた。そして、ここでも師匠の金子貴志をグランプリ優勝へと導く先行を見せ自身は6着となった。 2014年は日本選手権競輪(名古屋)の決勝で3着となった後、7月の寬仁親王牌(弥彦)の決勝で打鐘過ぎに前のインを突いて出ようとしたところで外から駆けてきた中川誠一郎の番手にはまり、最終バックからの番手捲りで3年ぶりに特別競輪を優勝した。さらに8月に松戸競輪場で行われたサマーナイトフェスティバルも優勝したが、9月のオールスター競輪(前橋)3日目優秀戦・シャイニングスター賞で先行する村上義弘を捲りきれず後退した際に浅井康太と接触し落車、左鎖骨を骨折し全治42日間と診断された。その後は手術を回避し、自然治癒での復帰を目指したものの回復が遅く、11月に小倉競輪場で行われる競輪祭を欠場。直後の岸和田G3か松戸G3での復帰を目指したが、最終的に年末に行われるKEIRINグランプリ2014へのぶっつけ本番での復帰を目指すことに落ち着いた。そして、グランプリで復帰したが、やはりブランクが大きな足かせとなり、まくり不発で8着に終わった。 2015年も前年の落車渦によって特別競輪の決勝に1度も進出することができず、目立った成績を残すことができなかったため、KEIRINグランプリへの出場を5年ぶりに逃し、S級S班からも陥落した。 2017年5月には、競輪とは別の、新田祐大が立ち上げた自転車競技チーム「Dream Seeker」への加入を発表した。その直後から再び今までの強さを取り戻し、最終的にはGI4回の決勝進出とGⅢ3回の優勝による年間獲得賞金上位(7位)で3年ぶりにKEIRINグランプリ2017へ出場した。結果は落車再乗の8着となったが、最終2センターまで先行し復活を印象付けた。 競技(ナショナルチームとしての活動)を優先し、2018年8月のGIオールスター競輪(いわき平)に出てからは競輪を長期欠場。復帰戦となった翌2019年4月川崎GIIIの次走、GI日本選手権競輪(松戸)で決勝進出を果たした。 2020年6月4日、2021年に行われる予定の2020年東京オリンピック自転車競技短距離種目の、第1補欠選手として内定した。 2020年11月12日、自身のTwitterとブログで2021年1月1日付けでデビューより在籍していた愛知支部から静岡支部へ移籍する事を発表した。 2020年11月15日、自身のTwitterで、元レースクイーンでモデルの安藤麻貴との入籍を公表した。。
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