取組関係
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序二段時代の1993年5月場所中日に不戦敗を喫したが、相撲協会の発行する成績表上では幕下以下の通常の黒星と不戦敗を区別していないため、この不戦敗は公式記録上では通常の黒星扱いとなり、出場回数にも含まれている。不戦敗を厳密に扱った場合の出場回数は1870となり、先述した節目の記録の達成日も1日ずつ繰り下がることになる。 2002年9月場所2日目の貴乃花戦、2012年5月場所の栃煌山との優勝決定戦などでは、外国出身力士である自分が日本出身力士に勝っても良いのかと葛藤することがあった。実際、その2つの対戦では白星を獲得しているが、それらの取組の後には部屋に無言電話や嫌がらせの手紙も来たという。 2004年9月場所3日目の栃東戦で、幕内では初となるつきひざにより勝利を収めた。 2006年5月場所6日目の雅山(当時・西関脇)、そして2010年11月場所3日目の豊ノ島(当時・西前頭9枚目)と、2回にわたって本割唯一となる黒星を付けている。これらの場所ではいずれも優勝決定戦で白鵬が制しており、結果的に両方で旭天鵬が白鵬の援護射撃を果たしたことになった。豊ノ島の場合は、勝っていれば1957年11月場所の玉乃海以来の平幕力士の全勝優勝を達成していた、雅山の場合は当時関脇で白鵬との本割の直接対決には勝っていただけに、この黒星が大いに響いた。 2012年5月場所で幕内最高優勝を果たした際には、所属する友綱部屋に抗議の手紙が3通届いた。この場所では栃煌山が6年4か月ぶりに日本出身の日本人力士として幕内最高優勝を果たす可能性があっただけに、その可能性を奪ったことに対して「久々に日本人が優勝するチャンスだったのに、なんてことするんだ」などと手紙で書き立てられた。ところが旭天鵬は本人は日本人扱いされていないことに対して「読んだけど、別に気にしなかったよ。逆に、すごいな、この人って思ったよ」と引退後のインタビューで寛容に笑い飛ばした。また、逆のケースが、仮にモンゴルで起きたら、モンゴル人はどんな反応を示すだろうか、という記者の問いに対して「モンゴル相撲で、もし日本人の横綱が生まれたら、向こうの人は見なくなるかもしれない。それに比べたら、日本人は温かいよ。ヤジもないしね」とも話した。 2012年9月場所14日目には若の里との、史上初となる通算800勝以上を記録する力士同士による対決が実現した。取組は若の里が寄り切りで勝利し、旭天鵬は「負けたけど、力を出し切った。今日に限っては悔しくないな」と取組後に語った。また、自身が史上3位となる幕内通算出場1379回を記録した2014年7月場所14日目には、同日に通算出場1600回を記録した38歳0か月の若の里との「合計77歳幕内対決」が実現した。取組では若の里が39歳10か月の旭天鵬を押し出して勝利し、旭天鵬は「あ〜、疲れた。向こうも(力を)出し切ったろうし、オレも出し切ったよ。やっぱり(若の里は)強いな、まだ」「2人が土俵に上がったら、お客さんも盛り上がってくれた。久々に疲れた感じがする。負けたけど、気持ちいいな」と取組後に語った。
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