北極圏の位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:55 UTC 版)
古代ギリシアの天体の運行についての見方は、イオニア人がバビロニアから導入したものが元になっており、その知識を使ってアルカイック期に海洋国家として発展し、交易を行い海外に植民した。マッシリアはイオニア人の植民都市の1つである。イオニアの哲学者タレスは沖にある船までの距離を海岸から測ることができたという逸話が知られているが、これはピュテアスがマッシリアの緯度を計測したのと同じく三角比の応用である。 古代ギリシアの天文学モデルはピュテアスのころから既に存在していたが、度の概念だけはまだなかった(後のヒッパルコスがそれを追加した)。そのモデルは、宇宙を同じ極軸で貫通された天球と地球に分けたものである。それぞれの球は円 (kukloi) によって帯 (zonai) に分けられている。天球の帯は地球の帯をそのまま投影したものである。 帯への分割は、恒星の軌道、太陽の軌道、月の軌道を基本とする。今では地球が太陽のまわりを公転していて、その自転軸が傾いているために昼が長くなったり(夏)、夜が長くなったりする(冬)とわかっている。古代ギリシアでは逆に地球の周りを太陽や恒星が回っていると考えていた。恒星は極を中心として一定の軌道を描く。一方太陽は天球に対して傾いた軌道を描いて移動しており、天球上を北や南に移動する。この太陽の軌道を黄道と呼ぶ。黄道が通っている星座を黄道十二星座と呼ぶ。 正午の太陽が垂直に立てた棒に落とす影が帯の定義の基本である。黄道の北端と南端の点が通る極軸に垂直な円が回帰線(tropics、tropikoi kukloi = 「転換点の円」)で、それぞれの点の位置する黄道十二星座がかに座とやぎ座であることから北回帰線 (Tropic of Canser) と南回帰線 (Tropic of Capricorn) と名付けられた。夏至 (therinē tropē) の正午、北回帰線上の棒には影ができない。回帰線に挟まれた緯度の部分を熱帯 (torrid zone, diakekaumenē) と呼ぶ。 熱帯に位置するエジプトやリビアの南部(サハラ砂漠)での経験から、古代ギリシアの地理学者は熱帯が居住不可能だとした。対称性から北にも居住不可能な寒帯 (frigid zone, katepsugmenē) があると考えられ、ホメーロスのころからの北方についての見聞はそれを裏付けていた。熱帯が赤道から北回帰線までであるように、寒帯は北極点を最北端として熱帯と同じ程度の幅があると想定された。ストラボンはそれを北極点から24度までだとし、ピュテアスも同じ位置を示す正接値を考えていたはずだが記録は残っていない。したがって北極圏は北緯66度から始まる。 赤道上では、天の北極 (boreios polos) は水平線上にある。観測者が北へ向かうに従って、北極の高度が徐々に大きくなり周極星、すなわち地平線に沈まない恒星が出てくる。北回帰線では、周極星の範囲は天の北極から24度までになる。mikra arktos(現在のこぐま座)という星座のほぼ全体が周極星の範囲に含まれるようになる。このため、その緯度を arktikos kuklos(くまの円)と呼ぶ。天球の北極圏はこの範囲を指す。天球の北極圏とは周極星の範囲を指し、緯度によって異なる範囲を指すことになる。 周極星の範囲が天の北極から66度までの範囲の地点では、天の北極圏と天の北回帰線の円が一致する。ピュテアスが、トゥーレでは北極圏と北回帰線が一致しているといったのはこのことである。そこでは夏至の日に太陽が沈まない。北極では北極圏の円が天の赤道の円と一致するため、日出や日没がなく、太陽は一年をかけて上下する。
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