北極保護区での石油掘削に関する論争
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「アラスカの歴史」の記事における「北極保護区での石油掘削に関する論争」の解説
1990年代、大統領ジョージ・H・W・ブッシュのエネルギー法案は北極野生生物保護区での石油掘削を認めるものだったが、民主党上院議員が議事妨害をして投票を阻止した。1995年、共和党は巻き返しを図るが、大統領ビル・クリントンは予算案について拒否権を発動し、今後ANWRを開発することを許すいかなる法案にも拒否権を使うことを明言した。掘削賛成派はANWRには160億バレルの原油埋蔵量があると主張したが、これはアメリカ地質調査所の調査の最も埋蔵量が多い場合のデータであり、技術的には5%しか掘削できないということが分かっている。反対派は30億バレルしかないと言っているが、調査の最小埋蔵量34億バレルより過小評価されている。 アメリカ地質学研究所の報告の要旨は、ANWRには以前に考えられていたほどの石油はなくしかもそのほとんどが州西部のカニング川近くのセクション1002地域に集中しているというものだった。アラスカ西海岸産の原油価格は1998年の1バレル12.54ドルから2000年9月には37.22ドルに跳ね上がったためクリントンは戦略備蓄石油を放出した。ゴア副大統領はカニング川沿いの採掘を拒んだが、石油ビジネスの経験者ジョージ・W・ブッシュとディック・チェイニーは1002地域での掘削を頑固に唱え続けた。2000年12月、沿岸警備隊はアリエスカ社がバルディーズ港で繰り返し安全基準違反を犯していたと告発し、原油の値段は再び跳ね上がった。同年半ば、下院は採掘を認める法案を可決したが、2002年4月上院によって否決された。2005年3月法案は再び下院に提出され可決された。上院は2006年度予算の一部として採掘のための基金を作る法案を2005年3月16日にすでに可決していた。2005年11月3日、上院はアラスカでの採掘を認めた。しかし、11月10日の採決で、下院は共和党穏健派の支持を失うことを恐れてANWRでの採掘を許可する条項を削除した。
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