前田綱紀と尊経閣文庫とは? わかりやすく解説

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前田綱紀と尊経閣文庫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 06:11 UTC 版)

前田育徳会」の記事における「前田綱紀と尊経閣文庫」の解説

古書籍を中心とした前田家収集基礎築いたのは、加賀藩5代藩主前田綱紀(1643 - 1724であった。「尊経閣」の名称は、綱紀が自らの収集を「尊経閣蔵書」と称したことによる3歳家督継ぎ80年近く藩主地位にあった綱紀名君評され学問文芸振興力を入れた金沢市に残る日本三名園一つ兼六園」も綱紀時代造営されたものである綱紀豊富な財力をもとに多くの貴重書収集したまた、京都東寺伝来した東寺百合文書」(とうじひゃくごうもんじょ、現・京都府立総合資料館)の歴史的価値認め家臣命じて文書目録作成しまた、分類保管のための文書100合を東寺寄進した。「東寺百合文書」がほぼ完全な形で現代伝わっているのは綱紀尽力による部分大きい。彼はまた、工芸技術育成にも努め各種伝統工芸意匠技法などの実物見本雛型集成し分類整理して箱に収めた百工比照」という資料残した几帳面な性格であったといわれる前田綱紀は、古書収集当たっても、自分個人的趣味によってではなく学術的資料的に価値の高いものを系統的に集めた。以上のことから、彼は日本の文化保護先駆者いえよう前田育徳会所蔵品には、綱紀収集品のほか、初代藩主前田利家の妻・芳春院(まつ)や、3代藩主前田利常収集にかかるもの含まれている。芳春院は、人質として徳川家康のもとにいた時代に、多く道具類現代でいう古美術品)を購入したといわれる前田家は、財力の点では他藩を圧していたが、外様大名であったため、徳川家とは常に緊張関係にあった前田家学問文芸振興に熱心であったのは、徳川家対す謀反起こす考えのないことを明らかにするために、武力ではなく学問文芸財力注いでいるということアピールするねらいがあったともいわれている。

※この「前田綱紀と尊経閣文庫」の解説は、「前田育徳会」の解説の一部です。
「前田綱紀と尊経閣文庫」を含む「前田育徳会」の記事については、「前田育徳会」の概要を参照ください。

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