到達点としての『ラス・メニーナス』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 14:35 UTC 版)
「ラス・メニーナス」の記事における「到達点としての『ラス・メニーナス』」の解説
ベラスケスは初期の作品で、慣例にとらわれない表現を試みているが、その多くを『ラス・メニーナス』の中でも取り入れている。ベラスケスの現存する唯一の裸婦像『鏡のヴィーナス』では、ヴィーナスの顔は鏡の中でぼやけ、全くリアリティがない。「自身を見ているというより、当惑して我々を見ている」ような角度に鏡は保持されている。1618年に描かれた初期の作品『マルタとマリアの家のキリスト』では、キリストと弟子たちの姿は、背後の部屋に通ずる給仕用の窓からしか見えない。ロンドンのナショナル・ギャラリーはこれを意図的な構図であると確信しているが、修復前は、多くの芸術歴史家たちはこの部分について、メインの場面の壁に架かった絵なのか、鏡に映った像なのか考察を重ねてきたが、議論は尽きない。2つの場面では着用されている衣服も異なっている。メインの場面では現代風の衣服を身につけているのに対し、キリストの場面では従来通り、聖書図解的な衣装を身に付けている。 この特徴は、1629年の『バッカスの勝利』にも見られる。この絵では、現代の農民がバッカス神やその仲間に交わっているが、神の姿は従来神話通り、裸の状態である。この作品では、初期の「食品庫の静物」作品他と同じく、人物像は鑑賞者を正面から見据え、その反応を伺うかのようである。 『織女たち』は恐らく『ラス・メニーナス』の後に描かれた絵で、オウィディウスから2つの場面が取り入れられている。1つは、前景で現代風の衣装を着用した人々、もう1つはその後ろで、一部が古代風の衣装を着て、部屋の壁の上のタペストリーの前で演技する人々である。批評家シーラ・ダンベによれば、「描写や迫力の面では、この絵で採られた手法は『ラス・メニーナス』での扱いと密接な関係があるという。1630年代の終わりから1640年代にかけて描かれた一連の肖像画は、現在では全てプラド美術館に所蔵されているが、ベラスケスは神や英雄、哲学者の扮装をした道化や、その他の王家の人々を描いた。その意図には、少なくともよく知っている人々にとっては滑稽な部分も確実にあるが、非常にあいまいな表現になっている。 ベラスケスの描いた王家の人々の肖像画は、その時点までは直接的なものであり、非常に写実的で複雑な表現がなされた。一方で国王の肖像は、宮殿の広大な部屋の向こうにいるという構図であり、他の作品よりも力強く華美な、ベラスケス特有の手法が取り入れられた。ベラスケスの画法は類のないほど自由で、『ラス・メニーナス』に近付いていくと急に人物像が絵のしみのように見えてくるポイントがある。柄の長いブラシを使うことで、彼は離れた場所からその効果を確かめながら描くことができたのである。
※この「到達点としての『ラス・メニーナス』」の解説は、「ラス・メニーナス」の解説の一部です。
「到達点としての『ラス・メニーナス』」を含む「ラス・メニーナス」の記事については、「ラス・メニーナス」の概要を参照ください。
- 到達点としての『ラス・メニーナス』のページへのリンク