初演とその後の評価とは? わかりやすく解説

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初演とその後の評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 09:56 UTC 版)

西部の娘」の記事における「初演とその後の評価」の解説

1910年12月10日ニューヨークメトロポリタン歌劇場メト)での初演は、エンリコ・カルーソージョンソン)、エミー・デスティン(ミニー)、パスクワーレ・アマート(ランス)、トスカニーニ指揮)という、当時世界的にも最高の陣容行われたメト巧み宣伝工作もあって公演人気沸騰しており、もともと他公演の倍価格設定されチケットが、セカンド・マーケットでは更に30倍のプレミアをもって取引された。初日観客はJ. P. モルガングッゲンハイム家ヴァンダービルト家などニューヨーク社交界勢揃いの観があった。当地新聞は、世界最高峰考えられていたオペラ作曲家がその新作ニューヨークで初演するということ自体アメリカの文化ヨーロッパのそれに比肩し凌駕しつつあるのだという論調で、初演好意的かつセンセーショナルに報道したプッチーニにとっては、初演成功終わった数少ないオペラ一つである。 しかし、初演興奮急速に醒めていった。ヨーロッパ各地での現地初演数年かけて行われていったが、そこでの評価はすでに、若干留保持ったものとなっている。 現在に至っても、このオペラは『ラ・ボエーム』、『トスカ』、『蝶々夫人』といった彼の代表作、あるいはそこまででなくとも、『マノン・レスコー』や『トゥーランドット』といった、各オペラ・ハウスでしばしばレパートリー上演される作品比べて一般的には高い評価受けていないのが現状である。理由としては、簡単に口ずさむことのできるアリア不在全曲多用されている大胆な不協和音、また皮肉なことに後世の我々は西部劇映画数多く鑑賞してきたこともあり、このプロット自体が「オペラの舞台で、生ぬるいウエスタンやっている」という感覚見られてしまう面も否定できない一方で全音音階多用して無調音楽一歩踏み出しているという点を、プッチーニ先進性を示すものとして注目する場合もある。 この作品後年評論家から「プッチーニ現地踏んだから失敗したのだ」と揶揄された。プッチーニ自身日本中国訪れていない。想像だけで作り上げた幻想的なこれらの作品比して、『西部の娘』は設定リアルである、といわれる日本初演は1963年11月2日東京文化会館NHK招聘第4次イタリア歌劇団による。ジョンソンには当初マリオ・デル=モナコ予定されていたが、重病来日不能となり、ガストーネ・リマリッリとアントニオ・アンナローロのダブルキャストとなった。他にはアントニエッタ・ステッラミニーアンセルモ・コルツァーニランスオリヴィエーロ・デ・ファブリティース指揮NHK交響楽団という陣容であった

※この「初演とその後の評価」の解説は、「西部の娘」の解説の一部です。
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