初演と再演
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1791年8月28日、モーツァルトはプラハに妻のコンスタンツェ、弟子のジュースマイヤーとともに到着した。翌29日にはレオポルト2世が到着、9月半ばまで祝祭が繰り広げられた。レオポルト2世はモーツァルトとサリエリを冷遇していたが、祝祭では『ドン・ジョヴァンニ』も上演され、サリエリはモーツァルトのミサ曲K.258、K.317『戴冠式』、K.337を指揮した。 9月6日レオポルト2世が戴冠し、その晩に国立劇場で皇帝と皇后マリア・ルドヴィカの臨席のもと、『皇帝ティートの慈悲』が初演された。皇后がこのオペラをイタリア語で「ドイツ人の汚らしいもの」(una porcheria tedesca)と評したという話は有名で、ありえそうなことだが、証拠はない(皇后はスペイン人として、夫やモーツァルトを含む嫁ぎ先の神聖ローマ帝国をドイツ人の国として意識していたと思われる)。初演が不評だったのは確かであるが、プラハでは9月末まで再演され、喝采を博した。 モーツァルトの死後、コンスタンツェはこのオペラをウィーンで初演することを企画し、1794年12月29日にケルントナートーア劇場で上演した。ウィーンでの上演は成功を収め、コンスタンツェは1795年から1796年までドイツ各地でこのオペラを上演した。
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初演と再演
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カンタータ『平和への祈り』は、1949年8月に山田和男指揮、日本交響楽団 (現・NHK交響楽団) により放送初演された。その後、管弦楽だけの第3部が追加され、同年11月に再放送された。舞台初演は翌1950年11月16日に日比谷公会堂で開催された「昭和25年度文部省藝術祭」において、尾高尚忠指揮、日本交響楽団により行われた。ソリストは大熊文子、川崎静子、木下保、秋元清一、合唱は国立音楽大学合唱団であった。 日本人作曲の管弦楽作品演奏を継続しているオーケストラ・ニッポニカは、2007年3月25日開催の第11回演奏会「深井史郎作品展」において、本名徹次指揮により『平和への祈り』を57年ぶりに再演した。ソリストは星川美保子 (S)、穴澤ゆう子 (A)、谷口洋介 (T)、浦野智行 (Bar)、合唱は東京クラシカルシンガーズ☆ぷらすであった。更に同オーケストラは2010年にも再演を重ねており、ライヴ録音がリリースされている 。
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