初演その他について
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「恋飛脚大和往来」の記事における「初演その他について」の解説
『恋飛脚大和往来』という演目が歌舞伎で演じられた例については、伊原敏郎著『歌舞伎年表』(第三巻)宝暦7年(1757年)の記事に次のようにある。 ○七月二十八日、大坂、大松座(大西)、「恋飛脚大和往来」。切狂言「初月夜最中心中」。 これが知られる限り最も古いが、渥美清太郎は、『恋飛脚大和往来』の初演はこのときではなく、この以前にすでに上演されていただろうという。しかし「初月夜最中心中」が「梅川忠兵衛」の道行の所作事ならば、「月夜」だとか「心中」などとあるのをみると、『冥途の飛脚』のものとは内容が異なっていたと考えられる。これは天明5年(1785年)4月、大坂で上演された『昔今恋飛脚』においても、大切所作として『恋闇卯月の楓葉』が出されている(「卯月」は旧暦4月のこと)。『冥途の飛脚』や『けいせい恋飛脚』の季節は正月に近い頃である。また寛政6年(1794年)8月の江戸桐座では『四方錦故郷旅路』(よものにしきこきょうのたびじ)を上演しているが、その大切に『月眉恋最中』(つきのまゆこいのもなか)という常磐津浄瑠璃による所作事を出し、番付には四代目松本幸四郎の役名が「大和のやぼ大じん実は新口村孫右衛門」とあるなど、これも『冥途の飛脚』や『けいせい恋飛脚』とは違う内容だったようである。 いっぽう安永9年(1780年)7月には、江戸市村座で『道行恋飛脚』(みちゆきこいのひきゃく)が上演されている。これは『けいせい恋飛脚』の「新口村」の詞章にいくらか手を加え、富本節の浄瑠璃で演じたものである。このように歌舞伎における「梅川忠兵衛」はその時々で内容を書替え、また一方では『けいせい恋飛脚』の内容に沿って上演されていた。しかしそれも時代が下ると『けいせい恋飛脚』に沿った内容に集約され、『恋飛脚大和往来』の外題で上演されることになる。ただし江戸ではそれとは別に、場所を江戸にした書替え物が幕末に至るも上演されている。 現行で演じられる『恋飛脚大和往来』の内容については、寛政年間にまでさかのぼることができる。国立国会図書館デジタルコレクションには「亀屋」のほかに「茶屋場」(封印切)と「新口村」を合綴した台本が公開されているが、「茶屋場」の最初には役名とそれを演じる役者の名が記されている。この役割が寛政4年(1792年)2月、京都北西芝居で興行の『恋飛脚大和往来』の番付と照らし合わせるとほぼ同じものであり、内容としてはこの時のものとみられる。その本文は多少の相違はあるものの、『日本戯曲全集』に収める台本と同じ系統のものである。この系統の台本が多少の改変を経ながらも、現在の「封印切」や「新口村」として伝わっている。
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