初土俵〜三役とは? わかりやすく解説

初土俵〜三役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:30 UTC 版)

東富士欽壹」の記事における「初土俵〜三役」の解説

子供時代から巨躯怪力で、大人に交じって家業鉄工所手伝っていたことから“下谷怪童あり”と評判になる。その評判聞きつけた富士ヶ根勧誘して入門させ、1936年1月場所初土俵を踏む。しかし、緊張から鍛え上げられた力を発揮できずに前相撲通過して番付載るまで2年要したが、幕下時代から双葉山定次に目をかけられ、「キン坊、来い」と呼ばれては猛稽古鍛えられた。 双葉山定次の猛稽古によって順調に力を付け1942年1月場所新十両昇進1943年1月場所では十両2枚目の地位14勝1敗の十両優勝を果たすと、同年5月場所新入幕を果たす。十両上位14勝の好成績残したことで新入幕の場所は東前頭8目に位置づけられ、いきなり横綱・三役陣と総当りさせられたが、照國萬藏安藝ノ海節男の2横綱には敗れたものの、2関脇・1小結倒して10勝5敗の好成績残した前頭筆頭迎えた1944年1月場所7日目には、かつて胸を借りた双葉山横綱土俵入り露払い務めた太刀持ち前田山英五郎)。 その後も1場所途中休場による負け越しがあったもののすぐ幕内上位定着し新関脇での1944年11月場所では東西編成替え初め双葉山敵方になり、同場所6日目にその双葉山定次上手投げ破って恩を返した。この取組が、結果的に双葉山土俵上がって最後敗戦にもなった。

※この「初土俵〜三役」の解説は、「東富士欽壹」の解説の一部です。
「初土俵〜三役」を含む「東富士欽壹」の記事については、「東富士欽壹」の概要を参照ください。

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