初土俵から関取昇進まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 06:25 UTC 版)
「琴勇輝一巖」の記事における「初土俵から関取昇進まで」の解説
2008年3月場所、琴榎本勇起の四股名で初土俵。前述の通り丸亀市の生まれであるが、琴勇輝の希望で中学高校時代を過ごした小豆島町出身としている。 新弟子時代から稽古熱心な力士として知られており、中立の証言によると相撲教習所に通う新弟子は教習所でのけいこが終わるとその日は稽古しないため廻しを教習所に置いていくが、榎本だけは廻しを部屋へ持ち帰り部屋へ戻ってからも四股を踏んだという。序ノ口は1場所、序二段と三段目は各2場所で通過し、2009年3月場所で早くも幕下に昇進。翌5月場所より四股名を琴勇輝一巖に改めた。7月場所で一度三段目に陥落したが、1場所で幕下に復帰するとその後定着。2011年1月場所で5勝2敗、技量審査場所で6勝1敗の好成績を収め、7月場所では初めて幕下上位の東5枚目まで昇進した。この頃の琴勇輝は毎日500回の腕立て伏せと鉄砲を欠かさず、2011年1月から半年ほどで体重が約20kg増えたという。この場所でも4勝3敗と勝ち越し、場所後に翌9月場所からの十両昇進が決定した。香川県出身の関取誕生は2004年1月場所まで十両に在籍していた五剣山(貴乃花部屋)以来で、小豆島出身者としては初である。
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