初土俵 - 入幕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 09:18 UTC 版)
1954年の蔵前国技館落成の場所に初土俵を踏んだ。戦後直後の復興期に使用していた仮設国技館などの暫定的な国技館と全く異なる、新しい国技館の開館である節目の場所に初土俵を踏んだことで、「こんな素晴らしい場所で相撲が取れると思うと感動した」と語った。 若い頃から大いに期待され、幕下時代では伊勢ノ海から「伊勢ノ海部屋の冨樫を知ってるか?未来の横綱だぞ」と公言されるほどだった。大きな期待を背負いながら1957年11月場所で新十両昇進を果たすと、トントン拍子のまま1958年9月場所で新入幕を果たす。当時19歳での入幕はスピード出世で、若秩父高明・豊ノ海義美と「ハイティーン・トリオ」と呼ばれた。 1959年3月場所から伊勢ノ海部屋で伝統の四股名「(11代)柏戸」を襲名した。この場所は西前頭13枚目で、横綱・大関との対戦こそなかったものの、終盤まで栃錦・若乃花の両横綱と優勝を争い13勝2敗、敢闘賞と技能賞を初受賞する。翌5月場所は東前頭4枚目に進み、上位陣初挑戦の場所となったが、初日大関琴ヶ濱を掬い投げに破ったものの2日目から8連敗、最終的に5勝10敗で幕内で唯一の皆勤しての負け越しになる。9月場所で前頭3枚目まで番付を戻し再び上位挑戦、大関を狙った若羽黒と栃光の関脇ふたりを下すなど12勝3敗で2度目の敢闘賞、翌場所で新三役に昇進する。
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