刑事事件としての処分・加害者の引退・相撲協会危機管理委員会の調査結果
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「貴ノ岩義司」の記事における「刑事事件としての処分・加害者の引退・相撲協会危機管理委員会の調査結果」の解説
加害者の日馬富士は、11月29日に日本相撲協会に引退届を提出した。日本への帰化申請中であったが、引退時点で日本国籍を取得しておらず角界を去ることとなった。12月11日に鳥取県警は日馬富士を傷害容疑で書類送検、12月28日に鳥取地検は傷害罪で略式起訴をした。被害者の貴ノ岩側の強い処罰感情を重く見た結果とみられる。翌2018年1月4日、日馬富士に対し鳥取簡裁は罰金50万円の略式命令を出した(傷害罪での上限額)。 2017年12月に相撲協会の危機管理委がまとめた報告書では、以下のことが事実として説明されている。事件の発端は錦糸町にあるモンゴルカラオケバーで貴ノ岩が他のモンゴル人力士や白鵬の友人と口論になったことで、このことが白鵬の耳に入り事件当日(10月25日)の一次会・二次会の鳥取のラウンジでの説教につながった。錦糸町の店は大相撲八百長問題によって角界を去った元力士がオーナーを務めている店であったと報道されている。 事件当日に一次会と二次会の現場に居合わせたのは、地元の高校関係者、白鵬・日馬富士・鶴竜の3横綱、同校OBの照ノ富士・貴ノ岩・石浦の関取衆3人を含む計13人。一連のことは全てモンゴル語の会話であったため、同席した日本人関係者には内容が理解できていなかった。 二次会ラウンジで白鵬の説教が一段落したと思った貴ノ岩がスマートフォンを覗いたのを日馬富士が咎め、素手やカラオケのリモコンで貴ノ岩の頭部を殴打した。白鵬は日馬富士を制して一度室外に出したが、日馬富士は戻ってきた。その後、貴ノ岩が謝罪したため暴行自体は数分で収まっている。 ビールはオーダーされていたがグラスに注いだ状態で提供されており、現場にビール瓶は無かったためそれによる殴打は無かった。シャンパンの瓶は存在したが、(シャンパンの瓶が手から滑り落ちており)殴打は無かったと思われる。また一部報道にあったアイスピックや、馬乗りになっての殴打などの事実は認められなかった。 ラウンジからの帰り際、貴ノ岩は石浦に「(日馬富士から自分は)何で殴られたのか」と聞いた。石浦は「ビール瓶とデンモク(リモコン)と思う」と答えているが、実際には日馬富士が貴ノ岩を殴打するところを目撃していなかった。ガシャンと物音がしたため、何かで殴られてボトルが割れたのではと石浦は思っていたが、実際に割れたのはソファに付属するガラス板だった。 翌10月26日に貴ノ岩は日馬富士に謝罪し、両者は握手を交わした。日馬富士はこれで解決したと考えて師匠の9代伊勢ヶ濱に報告をせず、白鵬・鶴竜もそれぞれの師匠である12代宮城野・15代井筒に報告をしていなかった。一方、貴ノ岩は白鵬の説教が一段落したときにスマートフォンを覗いたこと、日馬富士への対応で自身が無礼なことをしたとは考えておらず、地元の高校関係者の助言により日馬富士と握手したが納得していなかった。 貴ノ岩は同日に頭部裂傷の縫合などの治療を受け、その後に広島・福岡県田川市内の病院で通院治療を受けた。師匠の貴乃花に対しては「酔っぱらって転んだ」と説明をしていたが、秋巡業終了後の10月29日に鳥取県警に被害届を出している。その後、11月5日から9日まで福岡市内の病院に入院し、12月5日から別の病院に転院。なお、日馬富士の引退は望んでもいなかった。
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