再発見された例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 13:42 UTC 版)
挿絵などのページが絵や掛け軸に加工されたり、再利用羊皮紙パリンプセストになったり、編集部の編集者などの関係者が紛失したなどで失われた後に再発見される。そのほか、ふすまや屏風の下地に使われる反故紙が貴重な古文書であるケースがある。 日本 2022年『藤原定家自筆本源氏物語』奥入の一部が、掛け軸になった状態で発見された。国文学者池田和臣は、「古来お茶を愛する人が、古い本の一部を切って掛け軸に貼って楽しむことがあった。このページは、明治時代以降に作られたとみられる掛け軸の上に貼られていたが、同様の理由からだろう」と述べている。 日本以外 ナグ・ハマディ写本 アルキメデス・パリンプセスト 1785年にマルキ・ド・サドがバスティーユ牢獄で著した『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』は、バスティーユ襲撃の混乱で失われたと作者自身が嘆いていた。しかし、バスティーユ監獄のサド自身の独房から発見され、1904年に出版された。 1865年に作曲家アントニン・ドヴォルザークが作曲した『交響曲第1番』が失われた。ドヴォルザークの死から20年後の1923年に再び発見され、1936年に初演奏された。 2015年11月、モーツァルトとサリエリの共作『オフェーリアの健康回復に寄せて』が、チェコの国立博物館にあるサリエリの生徒の作品をデジタル目録で探していたドイツの作曲家・音楽学者によって発見された。 数学者アンリ・ポアンカレの受賞歴のある論文にミスがあり、修正されたものを出す際に以前のものが失われた。 1976年、数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンのラマヌジャンの失われたノートブック(英語版)が、ケンブリッジ大学レン図書館(英語版)にある数学者ジョージ・ネビル・ワトソンの私用箱から数学者ジョージ・アンドリューズによって発見された。
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