再発見とその後
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1525年、スペインの征服者エルナン・コルテスがティカルを通り過ぎたが、手紙には書きこんだりしなかった。1696年、スペイン人修道士アンドレス・デ・アベンダーニョ(Andrés de Avendaño)がペテンの密林の中に迷い込み、ジャングルにそびえる巨大ピラミッドを発見した。これがおそらくティカルだったといわれている。この地がティカルと呼ばれて一般に知られるようになったのは19世紀後半にはいってからである。1881年にはアルフレッド・モーズリーがジャングルを切り開いて初めてティカルを写真に撮影した。その後テオベルト・マーラーやシルヴェイナス・モーリーがティカルを調査した。 1955年5月にグアテマラ政府はティカルを国立公園に指定した。 1955年からエドウィン・シュック率いるペンシルベニア大学によるティカルの大規模発掘が開始された。1960年にはマヤでもっとも古い292年の長期暦の日付をもつ石碑29を発見した。1963年からはウィリアム・コウが発掘事業を継続した。その後、グアテマラ考古研究所(IDAEH)による発掘が行われた。しかし、発掘されたのは現在も全体のごく一部分にすぎない。 ティカルは『スターウォーズ』第1作(スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望)においてヤヴィン第4衛星のロケ地として使用された。
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再発見とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 11:44 UTC 版)
生前、鈴木大拙らに高く評価された清沢であったが、死後長らく忘れ去られていた。清沢が再発見されたのは、戦後になってからで、1965年春「中央公論」4月号座談会「近代日本を創った宗教人100人を選ぶ」で司馬遼太郎が取り上げ、1970年11月中央公論社『日本の名著』第43巻で橋本峰雄が著書を紹介した。このとき、「清沢満之とは誰か。」と多くの問い合わせが寄せられたり、橋本が、西方寺の住職を勤める清沢の孫夫婦にインタビューしたら、「うちのおじいさん、そんなにえらい人やったんですか。」と答えた。山本伸裕は再発見を第2次復権と命名、、その後彼の全集が岩波書店から2002年~2003年と2012年に発行されてから、第三次復権として、再び脚光を浴びつつあるという。
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