党職・議員活動
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1997年7月 - 1998年4月:国会財政経済委員会幹事及び労使政委員会幹事会委員(1998/06まで) 2000年6月 - 2000年12月:新千年民主党、第二政策調整委員長 2000年11月 - 2003年9月:新千年民主党、労使問題対策委員会委員 2000年12月 - 2001年11月:新千年民主党、基調委員 2000年12月 - 2001年1月:国会公的資金運営実態究明のための国勢調査特別委員会委員長 2001年11月 - 2002年4月:国会財政経済委員会担当幹事 2002年6月 - 2002年12月:新千年民主党、大統領選挙企画団政策企画室長 2002年7月 - 2003年4月:国会建設交通委員会委員 2002年9月 - 2002年12月:盧武鉉大統領候補(当時)中央選挙対策委員会国家ビジョン21委員会本部長 2002年9月 - 2002年12月:国会公的資金国勢調査対策特別委員会委員長 2000年12月 - 2003年9月:新千年民主党、政策委員会議長 2003年4月 - 2004年5月:国会農林海洋水産委員会委員 2003年9月 - 2004年4月:開かれたウリ党、政策委員会議長 2004年8月 - 2004年10月:開かれたウリ党、公職候補資格委員会委員長 2004年7月 - 2005年1月:国会予算決算特別委員会委員長、国会科学技術情報通信委員会委員 2005年1月 - 2006年1月:開かれたウリ党、院内代表。国会運営委員会委員長 2005年10月 - 2006年1月:開かれたウリ党、臨時議長(院内代表と兼務)。 2006年2月9日 産業資源部の長官(大臣)に任命 2007年1月3日 産業資源部長官を辞任 2007年2月14日 ウリ党の定期党大会、議長選挙で議長に選出される。 2008年7月6日:民主党、党大会。代表選挙で、秋美愛と鄭大哲の二人に大差をつけて、代表に当選(任期2年)。 2009年7月24日:ハンナラ党がメディア関連法を国会で強行採決したことに抗議して議員辞職を表明。自身を含めた民主党議員全員の辞表を金炯旿国会議長に提出した。 2010年6月8日:11ヶ月ぶりに院内への復帰を表明。 2010年8月2日:国会議員再補選における敗北の責任をとって、代表の職を辞任。 2010年10月4日:党指導部選挙で敗北。党最高委員(2010年10月 - 2011年12月) 2011年12月:民主統合党常任顧問 2014年9月:新政治民主連合非常対策委員 2016年6月9日:国会議長( - 2018年5月29日) 2020年1月14日:国務総理( - 2021年4月16日) 注:日本経済新聞が主催して毎年開催している国際交流会議「アジアの未来」のサイトに掲載されている丁世均の略歴(同会議において講師を務めた)を元に、聯合ニュースや朝鮮日報などマスメディアの記事も参考にして作成した。
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