党財政の責任者
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「フランツ・クサーヴァー・シュヴァルツ」の記事における「党財政の責任者」の解説
1938年5月2日、ヒトラーは党金庫を開ける際にはシュヴァルツの同意が必要とする旨を指示した。シュヴァルツは党財政の他に党員番号の管理も担当し、党員番号を通し番号制に改革した。これにより党員が死亡・離党した際には古い党員番号は欠番となり、党員番号は1945年には850万代まで肥大していった。シュヴァルツは党財政の強化に努め、1945年までの間に約10億ライヒスマルクの資産を集めた。ヒトラーは1935年11月27日のシュヴァルツ60歳の誕生日に出席し、彼の党財政に果たした役割を評価した。 一方、シュヴァルツは党内の政治闘争には関わらず、資金管理などの党活動のサポートに専念した。ヨーゼフ・ゲッベルスはシュヴァルツについて、1926年4月9日の日記の中で「必要のない男だ」と書いたが、1944年11月には「最も信用の出来る男であり、立派な党員だ」と書いている。 1942年4月20日には親衛隊上級大将に昇進。この階級はシュヴァルツを含めて4人にしか授与されていない(他の3人はヨーゼフ・ディートリヒ、パウル・ハウサー、クルト・ダリューゲ)。1944年6月5日、連合国によるミュンヘン空爆の際の行動を評価され、戦功十字章を授与される。第二次世界大戦末期には国民突撃隊の大隊指揮官を務めた。
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