党主席兼首相就任とは? わかりやすく解説

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党主席兼首相就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 21:19 UTC 版)

華国鋒」の記事における「党主席兼首相就任」の解説

1969年4月第9回党大会では中央委員となった華国鋒は、1970年11月には湖南省委員会第一書記選出され併せて軍区第一政治委員、省軍区委員会第一書記に任ぜられた。 1971年には中央引き上げられ、党政治局会議参加した1973年8月30日第10期党中央委員会第1回全体会議第10期1中全会)で中央政治委員昇格同年公安部長大臣)に就任した毛沢東信頼され1975年には国務院副総理副首相)に昇進1976年1月8日周恩来総理死去すると、毛沢東意向により国務院総理代行とする決定がなされ、2月2日党中央の「1号文件」として通知された。 4月7日毛沢東指示基づいた政治局会議決議により、華国鋒後継国務院総理党中央委員会第一副主席任命され、毛に次ぐ序列第2位地位抜擢された。 1976年4月30日毛沢東から「あなたがやれば、私は安心だ(你办事,我放心)」という遺言にあたる自筆メモ入手したとされている。 同年9月9日毛沢東党主席在任のまま死去10月6日文化大革命主導者であった江青張春橋らの四人組逮捕。これにより、毛沢東の死後激化していた党内対立一気解決し文化大革命事実上終結させた。翌10月7日中央政治決議により党中央委員会主席および党中央軍事委員会主席に就任し、これは1977年7月21日第10期党中央委員会第3回全体会議追認された。同年8月第11回党大会において、1966年以来11年わたった文化大革命終結宣言した権力基盤脆弱な華国鋒は、常に毛沢東威光借りようとした。1976年11月には毛主席紀念堂着工して、翌年9月死去1周年完成させており、建物正面に「毛主席紀念堂」の金文字揮毫を自ら行っている。1977年10月には「二つのすべて(两个凡是)」の方針示し文化大革命には是々非々立場表明したが、かつて実権派として失脚迫害され鄧小平らからの強い批判浴びた

※この「党主席兼首相就任」の解説は、「華国鋒」の解説の一部です。
「党主席兼首相就任」を含む「華国鋒」の記事については、「華国鋒」の概要を参照ください。

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