党主任建築家
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「アルベルト・シュペーア」の記事における「党主任建築家」の解説
1934年1月21日にトローストが死去し、シュペーアが党主任建築家の地位を引き継いだ。主任建築家となってからの彼に与えられた初期の仕事は、レニ・リーフェンシュタールの映画『意志の勝利』の舞台となり、彼の業績の中でももっとも有名なニュルンベルクの党大会会場であった。自伝で彼は、最初のデザインではパレード会場がまるで「射撃祭(ドイツ語版)」に見えてしまうと自嘲気味に語っている。彼は一からデザインを作り直し、党大会広場の設計図を完成させた。 広場は古代アナトリアのヘレニズム期の建築、「ペルガモンの大祭壇」(ベルリンのペルガモン博物館に収められているもの)のドーリア式建築を参考とし、これを24万人を収容できる巨大な規模に拡大したものであった。1936年の党大会では、シュペーアはパレード会場を130基の対空サーチライトで囲み、夜間には垂直に照射して光の大列柱を作り出した。この「光の大聖堂」のヴィジュアルインパクトは今も語り草となっている。以後1938年まで毎年9月、この会場はニュルンベルク党大会のために使用された。シュペーアはニュルンベルクで他にもさまざまなナチ党の建築を計画したが、殆どは実現しなかった。例えば、オリンピックに代わる競技大会の会場となる、40万人収容のスタジアム、「ドイツ・スタジアム」(de:Deutsches Stadion (Nürnberg))はその一例である。 これら党建築の設計に当たり、シュペーアは「廃墟価値の理論(ドイツ語版)(Ruinenwerttheorie)」を創案した。ヒトラーが熱烈に支持したこの理論によれば、今後新築されるすべての建築は、数千年先の未来において美学的に優れた廃墟となるよう建築されるべきだということであった。古代ギリシア・古代ローマの廃墟がその文明の偉大さを現代に伝えているように、ナチスドイツが残す廃墟は第三帝国の偉大さを未来にまで伝えるべきものであった。この理論から、鉄骨構造や鉄筋コンクリートによる建築よりも、記念碑的な石造建築が多く生み出されることとなった。 1937年にはシュペーアはパリ万博のドイツ館を手がけた。この建物は、スターリン様式を代表する建築家ボリス・イオファンが手がけたソ連館の正面にあり、ソ連館よりも僅かに高い。両館はそのデザインにより金メダルを同時受賞している。 シュペーアには、同じくヒトラーお気に入りの建築家であるヘルマン・ギースラーという建築上のライバルがおり、二人は建築上の問題やヒトラーからの関心を惹くためにたびたび衝突していた。 @media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important} 党大会広場のうち、パレードが行われる「ツェッペリンフェルト」に設けられた大観覧席 ニュルンベルク党大会 「光の大聖堂」 パリ万博のドイツ・パビリオン
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