党主席制の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 07:01 UTC 版)
「中国共産党中央委員会主席」の記事における「党主席制の廃止」の解説
毛沢東が志向した党政不分体制は、その行き過ぎから経済の逼塞と政治の混乱をもたらした。そのため、鄧小平体制にとっては改革開放路線の障害となるものであった。そこで、党政不分体制の残滓を有する1978年憲法は鄧小平体制において改正されることになり、中国共産党による国家の領導を定める一方で党政分業を志向した新憲法が制定されることになった。新憲法の制定を間近に控えた1982年9月の第12回党大会において党規約が改正され、中国共産党中央委員会主席は廃止された。そして、新たに党の最高職として中国共産党中央委員会総書記が設置され、同職が中央書記処を統括して党の日常業務の最高責任者となることが定められた。これに伴い、同年9月12日の第12期1中全会において、党中央委員会主席だった胡耀邦は党中央委員会総書記に就任し、党主席制は終焉を迎えた。
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