優秀な人材の流出とは? わかりやすく解説

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優秀な人材の流出(山口喜三郎 → 東芝、崎山刀太郎 → 三菱電線)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:10 UTC 版)

古河財閥」の記事における「優秀な人材の流出(山口喜三郎東芝崎山刀太郎三菱電線)」の解説

古河鉱業(現・古河機械金属)において電気分銅事業創始以来加工業中心に工業部門発展推進した山口喜三郎は、古河電気工業の設立と共に古河鉱業常務取締役辞任し古河電工専務取締役としてそれまで新し事業開方針の実現向けて動き出そうとしていた。しかし、大連事件による古河合名会社経営方針消極化と第一次世界大戦後恐慌深刻化は、山口喜三郎活躍の場与えることをしなかった。古河合名会社は、景気後退に伴い山口喜三郎専務積極経営方針批判する意見強まり1921年大正10年)に中川末吉専務取締役就任し山口喜三郎は平の取締役降格させられた。一方山口喜三郎は、既に1918年大正7年)に東京電気(現・東芝)の取締役就任していたが、1921年大正10年)に東京電気副社長就任し引き続いて1927年昭和2年)には東京電気社長になり、また、1937年昭和12年)には芝浦製作所(現・東芝)の会長にも就任した。更に、東京電気芝浦製作所両社合併して東京芝浦電気(現・東芝)が設立され同社初代社長就任した。この少し前の1935年昭和10年)に、山口喜三郎東京電気社長として富士電機製造(現・富士電機)と通信機器に関する事業共同経営に関する覚書」を締結し富士通信機製造(現・富士通)の設立関わるなど、日本電機エレクトロニクス産業の中で目覚ましい活躍をしている。 このように山口喜三郎先述崎山刀太郎という、もと古河合名会社(現・古河機械金属)の優れた人材が、古河財閥の外に出て古河財閥競合する企業リーダーとして活躍していることは、古河商事の破綻以降における古河財閥経営著しく消極化したことと関係があるといえる。しかし、その後満州事変1931年昭和6年))の勃発契機に、古河財閥守勢一方から脱却し関連事業・その下流加工産業主軸として事業拡大転じ古河鉱業古河電工中心に中川末吉という優れたリーダーのもとで、古河財閥企業間の協力関係深めながら、産業中心とした財閥としての地位固めていった。

※この「優秀な人材の流出(山口喜三郎 → 東芝、崎山刀太郎 → 三菱電線)」の解説は、「古河財閥」の解説の一部です。
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