崎山刀太郎(→三菱電線工業)
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「古河機械金属」の記事における「崎山刀太郎(→三菱電線工業)」の解説
古河電気工業傘下の電線会社は、東京の日本電線と大阪の日本電線製造(のちの大日日本電線)の2社であった。関東大震災(1923年)の被災を免れた日本電線は、業務の拡張のため1923年に倍額増資を企図したが、古河合名会社(現・古河機械金属)と古河電工はわずかしかこの増資に応じることができず、そのために古河の日本電線に対する資本支配力が弱体化した。これは、関東大震災直後の混乱と古河商事の大連事件の余波を受けて、古河銀行(第一銀行、第一勧業銀行、みずほ統合準備銀行を経て、現在はみずほ銀行)と古河合名会社の日本電線などの傍系会社に対する金融的な援助が及ばなかったことが一因である。 このような背景のもとで、日本電線は東京製線を吸収するなど古河電工と競合する積極的な経営活動を行うに至り、1926年に古河電工との協約書が破棄され、日本電線は独自の道を歩むことになった。古河合名会社から派遣されていた日本電線専務・崎山刀太郎は協約書破棄の前年に古河合名会社を退社し古河を去り、その後、日本電線と大日日本電線の合併を推進、三菱電線工業の創設が行なわれた。
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