偽装書類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 01:20 UTC 版)
上べの身上が、モンタギューと彼のチームにより創り上げられている間に、偽の書類も創出された。モンタギューと彼のチームは、ドイツ軍が疑問の余地なく発信者を見誤るように、これらの書類は最上位レベルのものでなければならないと主張した。 メインの書類は、「アーチー・ナイ」(帝国参謀本部副参謀長サー・アーチボルド・ナイ(英語版)中将 ; Lt. Gen. Sir Archibald Nye)から「親愛なるアレックス」(アルジェリア と チュニジアの第18軍指揮官サー・ハロルド・アレクサンダー)への親書であった。 この手紙はサー・アーチボルト本人が自ら書いており、いくつかの「微妙な問題」にふれていた。例えば、アメリカ軍から彼らと行動を共にしているイギリス軍人へのパープルハート章の(好ましくない)授与や、近衛旅団(英語版)(Brigade of Guards)の新指揮官の任命などである。これは、手紙が正規のルートではなく、手渡しで送達される理由を説明するものであった。 地中海における連合国軍の計画の項で、手紙はハスキー作戦について、エジプトとリビアの軍がヘンリー・メイトランド・ウイルソン将軍の指揮のもとにギリシャに侵攻すると述べていた。2つの攻撃目標の海岸と、それに割当てられたいくつかの部隊名も記されていた(ハスキーは実際にはシチリアへの侵攻作戦であった)。手紙は、さらにシチリアを偽目標とする第2の攻撃計画であるブリムストーン作戦(Operation Brimstone)に言及していた。この中では、チュニジアのアレクサンダーの戦力が他の唯一もっともらしい目標であるサルデーニャに侵攻することを暗示していた。 マーティン少佐を彼の指揮官であるルイス・マウントバッテン提督から、連合国地中海海軍司令官のアンドルー・カニンガム提督に紹介する手紙もあった。この手紙には鰯(sardines)に関する下手なしゃれも含んでいたが、これはドイツ軍がサルデーニャ(Sardinia)への侵攻計画への言及と考えることを期待し、モンタギューが挿入したものであった。 ターナー主計中尉の事件に際しては、ドイツ人(とスペイン人の友人たち)は、おそらく彼のポケットにあった手紙を見逃したのであろうと考えられたため、モンタギューのチームは、見逃されることがないように書類をブリーフケースに入れることを決めた。書類をブリーフケースに入れて運んでいたことを正当化するためにマーティン少佐は、ヒラリー・ソーンダース(Hilary Saunders)による統合作戦(Combined Operations)についての公式パンフレットのコピー2部と、マウントバッテンからドワイト・D・アイゼンハワー将軍への、このパンフレットの米国版への簡単な序文の執筆を依頼する手紙を与えられた。 また、死体と書類を納めたブリーフケースが同時に回収されることを確実にするよう手を打つ必要があった。チームは最初死体の手をハンドルに死後硬直で固定することを考えた。しかし、硬直はまず確実に解けてブリーフケースは漂泊することになる。従ってチームはマーティン少佐に銀行員や宝石商がケースを運搬時に引ったくりに対処するために使用する革でカバーされた鎖を着けることにした。鎖は目立たないように一方の袖からケースにつながっていた。イギリス軍の将校伝令はこのような鎖を使わないが、ドイツ軍はおそらくそれを知らないであろうし、マーティン少佐がこの特別任務のためにそれを使用しないであろうということについての確信もないであろう。ただし、マーティン少佐がイギリスからの長いフライトの間、バッグを手首の位置に保持していることはあり得ないように思われたため、鎖はトレンチコートのベルトの周りに巻かれることになった。
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