使用人・看護婦・関係者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 02:21 UTC 版)
「姑獲鳥の夏」の記事における「使用人・看護婦・関係者」の解説
菅野 博行(すがの ひろゆき) 久遠寺医院で小児科を担当していた医師。嘉親がドイツ留学時代に世話になった先輩の同窓で、昭和7年頃から常勤になった。涼子によれば、戦渦に巻き込まれて死んだというが、実際は昭和16年の春に失踪して消息不明になっていた。「開かずの間」の鍵を所有していたらしい。 内藤 赳雄(ないとう たけお) 住み込みの医師見習い。浅黒い精悍な顔つきの、背の高い男だが、卑屈で陰険な性格。国家試験に3度落第していて、情緒不安定になっている。久遠寺夫人から目をかけられていたが、それ以外の人間からはあまりいい評価をもらっていない。久遠寺の主筋に当たる大名家の遠縁の血筋とされているが、幼い頃に父母を亡くして恵まれない少年時代を過ごしたという。 澤田 時蔵(さわだ ときぞう) 久遠寺家の元住み込みの使用人。真っ白い蓬髪と奥まった眼窩を持つ、鶴のように痩せこけた老人。60歳。お遍路の妊婦だった祖母が行き倒れていたときに、久遠寺家に世話になり、その恩から久遠寺家に代々仕えていた。牧朗の失踪後、昭和26年の春まで使用人をしていたが、何かに怯えるようにして遠縁で乾物店を営んでいる梅本常子の元に身を寄せる。 澤田 富子(さわだ とみこ) 元使用人で、時蔵の妻。牧朗の失踪後、梅本常子の元に身を寄せる。 戸田 澄江(とだ すみえ) 久遠寺医院に勤めていた元看護婦。涼子とは親しく、病気がちな彼女の看病をすることも多かった。原澤の子の出産に立ち会ったが、赤児失踪事件後は他の同僚と同じく故郷の富山に帰された。田舎暮らしが合わずに東京に戻って来たが、昭和27年の春より前に自宅アパートで変死していた。 原澤 伍一(はらざわ ごいち)・原澤 小春(はらざわ こはる) 赤ん坊が消えた三組の夫婦の一組。上宿の外れの細民窟にある長屋に住む。伍一は左官で35歳。インパール作戦でビルマに送られて足と指を損傷し、復員後は家族の大半を失っていたが、生きていた女房のために不自由な身体を引きずって必死で働いていた。我が子の失踪を訴えていたが、突然、その訴えを取り下げる。
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