低調な活動とは? わかりやすく解説

低調な活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 09:37 UTC 版)

アドミラル・クズネツォフ (空母)」の記事における「低調な活動」の解説

名実ともに北方艦隊所属となったクズネツォフだったが、就役から十年ほどはソ連邦崩壊による極度財政難人員不足などにより、定期修理整備が満足に行われず活発な行動行えなかった。1994年当初予定定数遥かに下回る機数しか揃わない状態で、不完全ながら搭載航空隊編成された。 西側観測筋も、クズネツォフ母港からほとんど出ることは出来ない態と見なしていたが、1996年ロシア海軍創設300周年記念してロシア艦隊の「地中海行進」が計画された。1995年12月8日に、「クズネツォフ」、ソヴレメンヌイ級ミサイル駆逐艦「ベスストラーシュヌイ」、警備艦「プィールキイ」、給油艦救助曳航船構成される艦艇グループムルマンスク地域出発し地中海向かったこの他、949A型(オスカーII級原潜K-119ボロネシと971型(アクラ級原潜K-461ヴォルク随伴した。地中海行進指揮官は、ロシア海軍総司令官第一代理(副総司令官)イーゴリ・カサトーノフ大将務めた。「クズネツォフ機動部隊」は、12月23日地中海入りし、1月7日から17日チュニジア1月29日から2月2日シリアタルトゥス港、2月17日から2月19日にはマルタ島寄港したこの間、「クズネツォフ」は、アメリカ海軍第6艦隊司令官訪問受けたその後地中海出て大西洋北上バレンツ海にて北方艦隊対空母機部隊迎撃演習の「敵役」をつとめた後、3月22日にウラ・グバへ帰港したが、蒸気タービン機関蒸気パイプ破損起こしている。 その後、「クズネツォフ」はオーバーホール着手したものの、資金割り当てがほとんど無かった為に整備は進まなかった。1999年オーバーホール20パーセントしか進んでいない状況で、北方艦隊司令部は「クズネツォフ」を現役復帰させたが、1998年2000年には母港近く短期間出航しただけで、それ以外係留され、ひどい状態になっていた。この当時クズネツォフテレビ朝日の「ニュースステーション」が取材し陸上施設にはろくな入浴設備が無いので艦内シャワー室使っている模様などが報じられた。特に機関の状態は酷く整備不良蒸気タービン機関蒸気パイプはほとんどが破裂していた。この事が曲解して日本伝えられ一部報道機関に「同艦の機関運用実績悪く何らかの欠陥有るものと見られる」と指摘されたこともある。また、「現在もまた機関大規模修理必要に迫られている」との記事掲載され、「早期退役」の可能性についても触れられたが、この号が発売され店頭並んでいた頃、クズネツォフ長期修理終えて現役復帰し演習のため大西洋出ていた。 2000年当時西側では、ロシア海軍ユーゴスラビア空爆後、地中海でプレゼンスを示すため、「クズネツォフ」やキーロフ級原子力ミサイル巡洋艦ピョートル・ヴェリーキー」を中核とする機動部隊地中海派遣する意向であると伝えられた。実際ロシア海軍当局もそのつもりだったが、「クズネツォフ」はそのような長期航海可能な状態では無かった地中海遠征2001年、2002年延期され中止された。この間母艦使えないクズネツォフ航空隊一年一度ウクライナサーキ飛行場まで遠征し発着訓練行っていた。

※この「低調な活動」の解説は、「アドミラル・クズネツォフ (空母)」の解説の一部です。
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